朴念仁の戯言

弁膜症を経て

仏様のような生き方

「蓄えも年金も少なく、皆さんとお付き合いすることはもうできません。暖かい土地へ移り、妻と静かに暮らします」。
そんなあいさつ状を出し、親しい人にも転居先を告げずに姿を消した男性がいた。
20数年前のことだ。
直前まで、東京で学ぶ会津出身者のための寮で学生の世話をしていた。
会津若松市の出身で大学を卒業後、職業軍人、鮮魚商、教員などをし、還暦を過ぎて寮に住み込んだ。
いがぐり頭に丸い眼鏡、腰には手ぬぐい。
質素な暮らしぶりだった。
学生の少々の暴走には目をつぶったが、道に外れた行為があれば、鋭い眼光で諭した。
後に分かったことがある。
施設の改修費を募るため会津に通った際、新幹線を使わず、東京から鈍行列車を乗り継いでいた。
少しでも改修に充てたくて節約したらしい。
鮮魚店を畳む時には「遅れた支払いは受け取りません」と張り紙をし、生活苦の人のツケを帳消しにした。
旧制中学の先輩の老人は、思い出を話しながら「仏様のような人」と涙ぐんだ。
卒業、進学、就職、転勤…。
別れの季節が巡ってきた。
この時期になると、鮮烈な印象を残して去ったその人を思い出す。
健在なら間もなく90歳になる。

※平成22年3月17日地元紙1面「あぶくま抄」より。