朴念仁の戯言

弁膜症を経て

子の教育は親の責任(日本人の美学)

節目の躾

桃栗3年、柿8年、梨の大ばか16年。この言葉は誰に教えられたわけでもないのに今も頭の中に残っています。地域によって表現は異なるようで、作家の山本周五郎さんは梨ではなく「梅の木18年」と書いています。桃栗は3年目から実をつけ、柿は8年目から、梨は16年の年数がかかると解釈する人が多いようですが、この言葉は子どもの躾(しつけ)を例えているのです。
子どもの躾は3歳までに「ありがとう」「さようなら」とあいさつができるように教えることです。昭和20年ごろまでは小学校に入学するのが数え年で8歳でした。この年ごろまでに自分のことは自分でできるようにしました。
現在は3歳保育の時代です。母親は自分の子どもをよく見てください。自分は3歳の時に何ができたでしょうか。思い出してください。
デパートなどでよく見掛けますが、子どもが高級な陶器に手を触れても注意しない母親がいます。他人に迷惑を掛けないことを親がきちんと教えることです。子どもを人前で叱ったり、頭を叩いている光景も見掛けますが、子どもは悲しそうな眼をしています。このような場所で子どもを叱る母親の真意は理解できません。子どもを叱る前に母親は自分の子育てに問題がなかったかなど反省する必要があるでしょう。子どもは自分の責任で育ててください。
数え16歳は元服です。梨は教養「なし」に掛けています。16歳までに教養を持ちなさいという意味で、何事も責任を持って行動するように教えています。
梅の木18年とは、寒さに負けず凛としてかぐわしく咲く梅の花のような心構えを持ってほしいと願いを込めた言葉です。心の準備や覚悟を抱くことの大切さを説いています。
伝統文化をきちんと教えられるような親であってほしいと切に願うこのごろです。
小笠原流礼法第32世宗家直門総師範の菅野菱公さん(平成22年3月2日地元紙掲載)