朴念仁の戯言

弁膜症を経て

不食という生き方⑤

男女の垣根を超えると豊かになる

私は「男女」についても、こだわりがなくなりました。
生まれ持った肉体上の性別はあっても、こうすべき、こうしなきゃいけないという強迫観念が、自分の中から消えました。
女性性が強い時代になると先述したのも、女性が男性に取って代わる、支配するという意味ではありません。
女性という存在が生まれながらにして持つ、優しくてしなやかな感性、受精して子どもを産むという特別な機能を持つがゆえの豊かな創造性、そういう要素が新しい世界を作る上で必要なのです。
少し前の世界の歴史は、まさに男性の歴史でした。
男性上位社会を維持するため、女性の潜在的なパワーを封印しました。それが今、解き放たれました。
男性上位社会を続けた結果、世界がシステムエラー起こしたからです。
女々しいとか、男らしいとか、女のくせにとか、そんな言葉を口にする人もいますが、これは幼少期に偏った思想をすり込まれた結果です。だからその人を一方的に責めるだけでは、事態は解決しません。
世界がシステムエラーを起こした状況で、そんな自由度のない思想をいつまでも握り締める必要はないのです。
男はこうあるべき、女はこうあるべき、そんな思い込みの垣根を超えると、今とは比べものにならないほど豊かな社会が生まれます。殺し合うこと、傷つけ合うこと、そういう行為はバカバカしいと本気で思えるようになります。
私たちの本質は、肉体的な性ではありません。
本質は魂であり、魂というエネルギー体は「たった一つ」です。
たった一つの存在から、私たちはそれぞれに分かれたのであり、そのときの生(過去生)によって、男女のどちらかで生まれたにすぎません。
同性愛者や性同一性障害の方が次々とカミングアウトされていますが、彼らは自分の性に違和感を持ち、性を変えようとします。まるで性を超えて生きようとしているようにも見えますが、そこにあるのは私たちの原点です。
そもそも私たちは「ジェンダー・フリー」なのです。
ぜひ、次の事実を知ってください。
「誰の中にも、男性エネルギーと女性エネルギーが同居している」
究極の結果とは、自分の中の「男女エネルギー」がバランスよく手をつなぐこと。肉体レベルの結果を超越した魂レベルの融合こそ、究極の結果です。
こだわりなど、もはや存在しません。
※弁護士・医学博士の秋山佳胤さん