朴念仁の戯言

弁膜症を経て

がん闘病 走る喜び変化

膝の痛みも「うれしい」 

プロランニングコーチ 金 哲彦(きん てつひこ)さん

マラソン選手として現役時代に2時間11分台の記録を持つプロランニングコーチの金哲彦さん(53)には、生涯忘れられないレースがある。2007年7月、オーストラリアのゴールドコースト・マラソン。記録は自己最低の5時間42分だった。

その11カ月前に大腸がんを手術したばかり。膝の外側が痛み、最後の12㌔は歩いてゴールしました。途中で完走できそうだと分かったら、うれしくてね。「ああ、またマラソンランナーに戻れた」という気持ちでした。

 ▽周囲には伏せた

がんが分かったのは06年の夏、42歳でした。ハーフマラソンを走った帰り、新幹線のトイレで大量下血をしたのです。

01年まで監督していた実業団の陸上部が休部になり、翌年、市民ランナー中心のクラブを設立しました。独立後はかなりストレスのある生活でしたが、体調は悪くなかった。下血後に内視鏡検査を受けたら「即手術です」と言われ、目の前が真っ白になりました。思えば2年ほど前の人間ドックで、便の潜血反応が出て「要再検査」と言われていました。それががんのサインだったとは思いもしませんでした。

開腹手術後12日で退院し、8月末の北海道マラソンの解説をしました。スタッフに「痩せましたね」と言われたけれど、がんのことは伏せました。

スポーツ選手だったので、敗者になりたくないのですね。がんになってかわいそう、と思われたくない。周囲に悟られまいと、手術の痕が痛くても腹筋運動とかやっていました。粋がっていましたけれど、内心は不安でした。

 ▽遺言のつもりで

がんはステージ3で、大腸壁から外へはみ出していました。5年生存率が70〜80%と聞いて、再発や転移の不安が消えることはありませんでした。

パソコンを開くと同じ病の方のブログとか、どうしても見てしまう。「しばらくアップがないなあ」と思っていたら亡くなっていたと知り、自分もそうなるのかとまた不安に駆られる。

手術をした年、ランニングのハウツー本を書いてみないかと言われて、「3時間台で完走するマラソン」を書きました。ランナーとして自分が培ってきたものを全部詰め込んだ本です。がんには触れず、編集者にも話しませんでした。遺言のつもりで書きましたが、ランナーに「バイブル」と呼ばれるほどのロングセラーになりました。

 ▽フル完走が自信

手術から数カ月後、少しずつ走り始めました。痛みはあるが、気持ちいい。病を忘れます。

ゴールドコースト・マラソンを完走できたのはすごく自信になりました。「自分はがん患者だ。でも同時にマラソンランナーなのだ」という気持ち。精神的にバランスが取れ、前向きになれました。

09年11月、つくばマラソンで3時間を切りました。完全復活です。その直後、がんで手術を受けたことを告白した「走る意味」という本を出版し、周囲からも「カミングアウトしたからにはまだ死なないよね」と言葉をもらいました。

命に関わる病を抱えると、人生の陰りを感じるようになります。「走る喜び」の意味が変わります。ゴールドコースト・マラソンの途中、膝が痛くなったときに、うれしいのですね。自分は脚が痛くなるぐらいに走れている。こんな経験はありません。病を得る前とは全然違う感覚です。

昨年はフルマラソンを13回走りました。ハーフが4、5回かな。走ることが生きることにつながる。幸せです。

(平成29年6月5日地元朝刊掲載)