朴念仁の戯言

弁膜症を経て

社会性が生みだした長寿

霊長類学者 山極 寿一(やまぎわ じゅいち)さんが語る

霊長類で「老い」がはっきり見て取れるのは、人間だけですから。
「おばあちゃん仮説」というのがあってね。雌が「自分の繁殖をやめて娘、息子、若い世代の繁殖を手伝って、孫世代の生存価を高める」ということを、人類はいつのころからか始めた。
「閉経」っていうのは人間だけにある現象でね、普通は繁殖能力がなくなるときが寿命の終わり。人間はその閉経の時期を前にずらして、まだ元気なうちにおばあちゃんになって、生計活動に参加する。共同で育児をするというのは人間の大きな特徴だけれども、それが可能になったのは、おばあちゃんの力が大きいというわけだな。
なぜかと言うとね、人間は直立歩行のせいで骨盤が小さいから、大きな子どもを生めない。まだ胎児の状態で生んで、生後はとにかく脳を発達させる。体の成長は後回しにしてね。子どもがたくさん死ぬサバンナという環境で、出産間隔を短くして子どもを増やす戦略を取ったから、母親は何年にもわたってひ弱な子どもを何人も抱えることになった。一人じゃ育てられないんだよね。
「共同育児」は、人間の社会性の中に非常に深く組み込まれている。つまり人間は、脳の大きな子どもを育てるという作業を集団全体で行ったがためにね、非常に奇妙な社会性と生活史を手に入れた。その結果起こったのが老人が長生きするっていうね、それまでに霊長類が獲得したことのない性質だったんだろうね。
もちろん老化、ということもある。でも自力で生きられなくなった人を集団で生かした痕跡は、すでに160万年くらい前の化石証拠があるからね。歯が全部なくなってその後も生きたという。離乳食と同じようなものを食べさせないと死んでいるよね。障害がある者を積極的に生かすというのも、人間だけがやっていることで。それは子育てから来ているのかもしれない。つまり「共感」ってのが必要なわけだ。他者に非常に強く共感を持つということが、人類の重要な特徴だからね。でもね、人間は共感する力を、悪用しちゃっているわけだよ。集団意識を高めて戦争するってのは、共感の最悪のシナリオだ。
介護っていうのも人間にとっては非常に古い、100万年以上前からあったことなんだけど、社会の中にどう組み込んでいくかというのはなかなか難しい。江戸時代の「隠居」なんてのも、老後、それまでと違う人生を送らせて「あげる」っていう、社会のロジック(論理、論法=考え方)だったかもしれない。それももう機能しないだろうしなあ。
いや、私なんかも早々と引退しようかと思ってるんだよね。自由に野山を歩きたいし。フィールド(野外)に出るときはいいんだけど、こういうとこ(研究室)にいるのは、もうたまらんと思ってさ。
※平成21年2月6日地元朝刊掲載