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朴念仁の戯言

弁膜症を経て

熊をめぐる物語

随想

昨年の夏、猪苗代町のある肉屋で熊肉が売られているのを見つけた。珍しいから店の主人にどこ産の肉かを尋ねてみた。「すぐ近くの吾妻山で春に獲れたのよ。親子連れだったそうだが、子熊の方は福島市の居酒屋の主(あるじ)が引き取っていったと聞いたよ」
池澤夏樹著「静かな大地」の熊の物語を思い出した。アイヌの人々は春、弓矢で熊を狩る。親熊の肉は食われ、毛皮は剥がされ、熊胆(くまのい)は万病の薬として珍重された。子熊は家へ連れ帰って大切に育てる。客人のようにもてなし、人間と仲良くなって大きくなったら山に返す。つまり、最後は殺されてしまう。でも、その熊は人間に良くしてもらったよという土産話を持って天に昇る。それを聞いたほかの熊たちは、生まれ変わるなら優しい人間の住む村の近くにしようと言い合う…というお話。
件(くだん)の子熊はどうなったのだろう?
再びショーケースに並んだ熊の冷凍肉に目を戻す。約10㌢ほどの厚さにカットされた肉の断面は二層に分かれている。黒っぽいのは肉で、白っぽいのは脂身だがかなり多い。好奇心からその肉を買いたい衝動に駆られたが、料理法が分からないので諦めた。
つい最近、アウトドア仲間と一緒に山小屋に泊まった際、私は初めて熊汁を食す機会を得た。メンバーの中に熊汁なら何度も食べたという人がいて、熊汁作りを指南してくれた。「熊汁はね、世間で言われるほど臭くはない。よく獣の肉は味噌仕立てで臭みを消す、なんてこというけど、熊汁はむしろ醤油の方が旨いんだ。肝心なのは、水から煮てじっくりアクを取り除くこと」と教えられた。
我々は熊肉の鍋を火にかけた。じっと見ていると、ブクブクと驚くほどアクが出てくる。それを丁寧にすくい、弱火でコトコト煮て気長にスープを作った。仕上げに野菜を入れ、醤油で軽く味付けをして熊汁の完成。さっそく食べてみると、こくのある濃厚な味が口中に広がった。獣臭さはない。スープに野菜の旨味と醤油の香りが絡んで実に美味しい。肉も柔らかく、脂身も溶けるように喉の奥に滑り込んでゆく。一同マタギの喜悦を味わった。
熊汁を食べ終わると、急に身体がポカポカしてきた。外は大雪だというのに、散歩に出かける者もいたほど。熊汁は山男のパワーの源だったんだなぁー。
アイヌの人々は狩りの後、獲物の魂を手厚く神の国に送ったという。自分たちの腹を満たしてくれてありがとうと述べ、その魂が神の国に帰って再び地上に生まれ変わることを祈るのだそうだ。
熊肉は珍しいからたまたまこんな話を思い出したけれど、我々は日々、他の命に自分の命を支えてもらっていることを忘れがちだ。こんな機会だから…とその夜、私は雪降る森の中で「熊さんありがとう」と手を合わせた。

NPO法人あったかネット理事・立花美由紀さん)平成21年2月5日地元朝刊掲載