朴念仁の戯言

弁膜症を経て

夢見ているよう

3.11あの日から

はだしで家を飛び出して車に家族を押し込んだ。痛えなんて感じねえ。目の前の車乗んのも、はっていくのが精いっぱい。家族を山に避難させて港に走った。津波から船を守るには沖に出すしかねえからね。海水が渦巻いて引いていた。ただごとでねえと思った。
ふつう、エンジンは暖気運転しないとアクセル全開にできねえんだけど、暖気もへったくれもねえ。時速40㌔ほどの全開で沖に向かった。1.5㌔くらい走ったところで高さ10㍍の津波が来た。(ありえ)ねえ、ねえ、ねえ。夢見ているよう。
全速力で走らせても元に戻される感じ。この波乗り切れなかったら終わり。よろよろで九分九厘諦めていた。もう駄目だってなると家族のこと考えんのね。山さ逃げた家族に会えねえのかなって。
これまで台風も突風も食らったけど、津波はおっかねえってもんじゃねえ。想像を絶する恐怖だね。
津波を越えたらその場で座り込んじゃった。九死に一生を得たって。きっと数分の違い。しょんべんむぐす(失禁した)のも分かんねかった。津波越すと、海は鏡のような別世界だった。
後ろを向いたらおれげ(私の家)がある方に津波がぶつかって土煙が舞い上がった。うちに家族いなくてよかったなあ。「千年に一回」なんていうけど、なんで俺が生きてる時代にくるかなあ。
俺は家族が無事だって知ってたから安心だったけど、家族は心配してた。夜になると船は明かりつけんのね。高台からみんな明かりで船の数を数えんの。仲間12隻。その中に俺がいるのも分かったみたい。

いわき市の漁師・阿野田城次さん51歳)平成23年4月17日地元朝刊掲載