朴念仁の戯言

弁膜症を経て

命懸け 貫き通した愛

『地球人間模様 @LOVE』駆け落ち(アフガニスタン

部屋を出る時、父は何も言わなかった。そっと屋根に上ると、月明かりの中、村外れの丘に懐中電灯の白い光があった。今だ。屋根を下りて夢中で光に向かって走った。
懐中電灯を手に暗闇の中に立っていた彼に夢中で言った。「最後まで一緒に逃げると約束して」
「約束するよ」。走りだすと彼が手を差し出した。大きくて温かい、初めて握る男の人の手。この人の妻になる。アフガニスタンの厳しい冬が終わった春先、生まれた村を初めて出た。
アフガン中部のバーミヤン州アジダール渓谷。泥壁で囲った二間ほどの借家でカマルニサ(20)は夫アブドル・ハミド(24)と暮らしている。「日ごとに彼のことがますます好きになるの」。夫から結婚の際にもらった六輪の金の腕輪をしたカマルニサは少し照れるつつも、誇らしげに言った。
▶道ならぬ恋
二人の命懸けの「駆け落ち」成功の話は、町中に知れ渡っている。アフガンでは、血縁関係者の中から両親が選んだ相手と結婚するのが通例だ。それ以外の恋愛は、ふしだらな「道ならぬ恋」。だから時折、いちずな男女は駆け落ちを選ぶ。捕まれば「一家の名誉を汚した」と家族から殺されることも多い。イスラム教では本来、宗教指導者の前で愛を誓えば結婚は成立することになっているが、現実は因習に縛られている。
二人の出会いは三年前。徒歩で三時間の村から農作業の手伝いに来たハミドは、茶や食事を運んでいたカマルニサに一目ぼれした。「初めて会ったとき、互いにほほ笑んだの」とカマルニサ。
そのころの彼女は、父の暴力におびえる日々を送っていた。ささいなことで殴られる。母が死んでから暴力はひどくなり、継母が来るとさらに激しくなった。「いつか、誰か、わたしを救ってください」。そう祈りながら暮らしていた。
ハミドは母に「彼女を妻にしたい」と打ち明けた。息子の必死の願いを聞いた母はカマルニサの父に会い、結婚を申し入れた。しかし、血縁関係のない男からの求婚にカマルニサの父は「ふしだらなことをしたに違いない」と激怒。カマルニサにも「お前のような娘には食べ物も着物もやらん」と怒りをぶつけた。
ハミドはそれでもあきらめなかった。カマルニサを一目でも見ようと何度も彼女の村をこっそりと訪れた。遠目に彼の姿を見るたびに、カマルニサの心もときめいた。
彼女は近所に住む友人の女性にハミドへの伝言を託した。「あなたが好き」。伝言は女性の友人に、友人はその友人に。メッセージはハミドに届いた。父に暴力を振るわれていることも伝わり、ハミドの胸は震えた。「彼女を守らなければ」
▶読書会の夜に
決行の日は間もなくやってきた。カマルニサが父にスコップの柄で頭を殴られ失神したのだ。家を出よう。もう一度、女性たちに彼への伝言を託した。「わたしを救い出して」
返事はすぐに来た。「コーランの読書会の夜、9時。村外れの丘で待つ」。「安全」なら白、「中止」の場合は赤の懐中電灯をかざす、と。
二人は一昼夜、山道を走り、ハミドの兄が住む町に着いた。出会ってから一年半がたっていた。
それでもまだ、カマルニサの父が追いかけてくるおそれがあった。見つかれば本当に父に殺されかねない。二人はバーミヤン州の知事ハビバに助けを求めた。知事は二人のいちずさに心を打たれ、「カマルニサの父を娘への暴行罪で懲らしめる」と公言した。案の定、父はやってきたが、知事の助けで二人に手出しはできなかった。
ハミドはそれでも安心できず、日本円で約25万円を借りて示談金として払った。公務員の年収二倍以上の額だ。そして自らも警察官となった。「彼女を愛している。全財産を投げ打っても彼女を守り、二人で暮らしたかった」とハミド。寄り添うカマルニサの目から涙がこぼれた。
「よくやった」。ハミドの家族は祝福したが、三日間続いた結婚披露宴にカマルニサの家族は一人も来なかった。だが、生まれた村の女性たちからは祝福の言葉が届いた。「おめでとう、お幸せにね」。寒さが緩み始めるころ、二人には子どもが生まれる。

痛み知る女性たち歓声
二人の話に地元の女性たちはほおを染め、歓声を上げる。「手を取り合って逃げたの? それが成功するなんて」。アフガニスタン女性のだれもが、今なお続く戦火と男性優位社会の中で痛みを分かち合っている。だからこそ二人の話に夢中になり、かっさいを送る。
タリバン政権崩壊後、カブールでは顔を覆わずに歩く女性も増えた。女子の学校も復活した。
しかし、女性を取り巻く環境はむしろ悪化していると地元の人権活動家は指摘する。
「耐えるだけだった女性が、少しずつ主張し始めたことに保守的な男性が反発、暴力に訴える例が増えている」。レイプ被害者の女性を家族が「名誉を汚した」と殺す例さえある。
一方で、愛した男性との思い出を支えに生きる女性もいる。カブールに住むファイマ(44)は13歳のときに、いとこで18歳のアブドゥルと結婚。「最初は結婚の意味も分からなかったけど、彼の心の広さを知るにつれ、深く愛するようになった」。夫の勧めで勉強を続け教師になり、働きながら4人の子どもを育てたが、夫は1990年代の内戦中、自宅に飛び込んだロケット弾で死んだ。
アフガンでは、夫を失った女性は再婚する例が圧倒的に多いが、ファイマは自分だけで子どもと夫の母を守ると決意、昼は教師、夜は裁縫の内職と必死に働いてきた。タリバン時代は秘密の場所で女生徒を教え続けた。
「母は僕の誇りです」。傍らで長男ショケル(17)が言った。

共同通信外信部の舟越美夏さん)平成21年1月7日地元朝刊掲載