朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人間は年齢相応に

みにくい年月のゴマカシ

絵本「100万回生きたねこ」で知られる佐野洋子さん。今年70歳となり、雑誌では再発したがんとの闘いを明らかにしている。年を重ねていくことについて寄稿してもらった。
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年月に逆らう生き物がいるだろうか。
がんばっているのは屋久島の屋久杉ぐらいではないだろうか。しかしあれはがんばっているのではなく、天寿の全うを生きているのである。
しかし人間は年月に逆らって生きるのが、値打があるらしくいつの間にかなった。
テレビを見ていると、広告だけのチャンネルなどがある。ほとんどが、美容、それもいかに年月のゴマカシをうまくやるかにつきていると思う。整形など、何のうしろめたさもなく、どしどしと結構かわいい子なんかもしているらしく、私の横で「あれ鼻整形」「これコラーゲン注入」などと叫ぶ整形評論家のおばさんもいる。
なる程みなかわいい。大体普通の女の子にブスが居なくなり、足もどんどん長くなっていって、おしゃれも世界一力をこめているのではないだろうか。
日本は平和で素晴らしい。

90歳過ぎのじいさんが冬山に死にものぐるいで登ったり、海の中にとび込んだり、鉄棒で大車輪をやったりする。
そして年齢に負けない、と大きな字が出て来る。
私はみにくいと思う。年齢に負けるとか勝つとかむかむかする。
年寄りは年寄りでいいではないか。
こんなばかげて元気な年寄りがいるからフツーの年寄りが邪魔になるのだ。
実に若々しい女を知っている。60近いが、10才は若く見える。中身はもっと若い。そのへんのネエちゃんと同じである。
「ねエ、六本木ヒルズ行った?」。「表参道ヒルズ行った?」。行くわけがねエだろ。
その女は年齢相応の中身は外見と同じに無いのである。私は70になるが、それなりに人生を生きて来た。赤貧を洗ったし、離婚もした。回数は言わないが、くっつくのは何の苦労もいらないが離れるのは至難の業と、とんでもないエネルギーでぶっ倒れる。
一生の一瞬の光が人生の永遠の輝きである事もある。そして人は疲れる。引力は下からくるから皮膚は下方に向かって落ちて来て、70年も毎日使えば骨だって痛む。しかし、しわだらけの袋の中には生まれて来て生きた年令が全部入っているのである。
西洋は若さの力を尊び東洋は年齢の経験を尊敬し、年寄りをうやまい大切にする文化があった。そして静かに年寄り年寄りの立派さの見本がいつもいた。私はそういう年寄りになりたい。

平成20年11月19日地元朝刊掲載