朴念仁の戯言

弁膜症を経て

天安門世代が引かれた感性

評論『楊逸さんに芥川賞

日本文化の特徴が「情」であるなら、中国は「意」と「理」の文化になろう。性格の異なる二文化の間を越境するのは簡単ではないが、原理原則にとらわれない個人の感性を奔放に筆先に任せるありかたは、楊逸(ヤンイー)さんの芥川賞受賞作「時が滲(にじ)む朝」を読んで知った。
最後が象徴的だ。「ふるさとはね、自分の生まれたところ、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや兄弟たちのいる、暖かい家ですよ」。こう主人公が子どもたちに語った時、幼い〝たっくん〟に語らせて締めくくる。「じゃ、たっくんのふるさとは日本だね」
地理的祖国意識を越境して、日本人のふるさと志向に移った象徴的なせりふだと思う。主義や思想の難しい論争と無縁のふるさと志向が明らかにうかがえる。
日本人にとって、ふるさとは山・川・海・野原・田んぼの景観に集約される。東京や大阪で生まれ育つと「ふるさとがない」とこぼす人も多いが、自然を核とするふるさと志向は日本人が共有しているように思える。
「兎(うさぎ)追いしかの山、小鮒(こぶな)釣りしかの川…」という、よく口ずさまれる唱歌は、理屈でない自然との一体感が基調になっている。理屈優先の大義名分よりも、自然風土への帰属感が本能的に働いたと考えられる。原理原則を唯一の判断基準に基づく思考から分かりにくい、強い「自然体」の望郷であろう。
受賞作の中では、何度も尾崎豊の曲が流れ、歌われる。主人公と親友は日本で再会しカラオケに行く。「俺の孤独、この胸に仕舞った、この拝金社会に生きる人間には理解の出来ない狼の孤独を、がっちり守ってくれているような気がするんだ」。画面の尾崎に向かって、友との間に理屈ではない一体感がよみがえる場面が濃厚に描かれている。
楊さんは早くから日本への好奇心があったという。ハルビンでの中学時代、日本にいた親類が送ってきたカラー写真で美しい日本に魅力を感じたというのだ。あこがれの日本留学を選び、卒業後も帰国しないで日本で暮らしているという。がむしゃらに話しかけ、日本語の習得が早かったのは、日本に溶け込みたいという熱意だけでなく、日本の文化風土に引かれ、持ち前の気性と適合したからであろう。
理念と論理を重視する伝統のある中国で、小説は理屈を説く手段とされてきた。日本の私小説のように個人的心理体験に重点を置いて、感性で記述する手法は少なかった。その点でいえば、受賞作には理屈をこねくり回すシーンはほとんどなかった。体験描写手法に終始した作品は日本の小説風土にマッチしたといえそうだ。
作者と同世代で、天安門事件で挫折し学業を放棄せざるを得なくなったような人たちにとって、愛国主義や民主主義、自由、個人と国家について問い直すことは宿命でもあろう。それが小説のテーマともなっている。天安門世代には、母国の適度な情報が得られ、適度な距離をおくことのできる一衣帯水の日本ほど適切な思考の「書斎」はなかったかもしれない。
楊さんの受賞は日中間を越境できる文学が日中両国で育ちつつある証しであり、表現方法など幅広いジャンルで相互補完しあい、完成度の高い作品を生み出し得る方向を示している。同時に日本が確実に多文化共生の時代にあることを告げている。
感性的な日本文化は言葉での発信の難しさを内包している一面があるが、楊逸さんの芥川賞は、日本文化の可能性を開き、世界平和にもっと貢献する時代の到来を示している。

(法政大教授の王敏(おうびん)さん)平成20年7月某日地元朝刊掲載