朴念仁の戯言

弁膜症を経て

土踏まず

芥川賞に決まって

暑い夜だった。受賞の知らせを受けたときにその暑さで眩暈(めまい)し、電話を持つ手も震えた。日本に来て21年、人生の約半分の歳月がこの海に包まれた国の風に吹かれていった。しかしその瞬間、風のように跡形もなく消え去ったはずの歳月が一気に体に戻った気がした。シュレッダーから出した紙くずのようなくちゃくちゃになったものが体内で引火して燃え上がった。きっと喜びだったに違いない。
21年間、日本語を一から勉強し始め、単語の一つ一つが体に入ってきたときの情景が、どれも鮮明に印象に残っている。初めてすしを食べたとき、わさびの辛さで涙目になりながらも、言葉で表すこともできず、悔しさでさらに泣きたくなったことや、風邪でのどを痛めても「痛い」と言えず、せき払いばかりしていたこと。そしてあの暑い夜、紙くずのように乱れた思いで燃え上がる喜びを覚えつつも、「うれしいです」としか表現しようがなかった。
いつだったのだろうか、足の疲れを取るマッサージ法を日本人の友人に教えようと一生懸命になっていた。ツボが多く集まる足裏の各部分を説明するのに一苦労。どうしても言葉で伝え切れず、結局靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ、汚いナマ足を人目にさらけ出して説明するほかなかった。恥ずかしかった。家に帰るなり、早速辞書に飛びつき調べた。足裏の真ん中のへこみは「土踏まず」と書いてあった。思わず笑った。足に力を込めて強く畳を踏んでみた。もちろん何も付かなかった。付きようもなかった。畳だからだ。
土踏まずを知った喜びが簡単におさまるはずもなく、待ちに待ったその週末に湘南海岸に向かった。なぜ?と問う声が今聞こえたようだった。もちろん本当に「土踏まず」なのかと実証を取るためであった。
両手に靴をぶら下げ、足を砂浜に踏み入れ、歩き出した。何も付かなかった。歩き回った。何も付かなかった。
走り回っても、砂浜で転げ回っても、全身は砂だらけになったが、足のへこみには何も付かなかった。土踏まずは砂も踏まなかった。私は砂人形になって、砂浜に座り込み、いつまでも土踏まずに感激していた。
その時、その砂まみれの体で覚えた日本語を使い、小説を書くということは想像すらできなかった。が、あの暑い夜、東京会館の記者会見でその砂まみれの体が脳裏に鮮明によみがえった。感極まって泣きそうにもなった。
しっかり日本の土を踏んで、土踏まずも土まみれになるほど踏み込んで、しっかりと栄養を吸い取り、いつか体から文化の良い色が滲(にじ)み出てくれたらと願うばかりである。

(作家の楊逸(ヤン・イー)さん)平成20年7月28日地元朝刊掲載