朴念仁の戯言

弁膜症を経て

アジサイと回想

『水の透視画法』生きるに値する条件

むしむしする。シャツが肌にへばりつく。こんな状態のことを、お粥(かゆ)につかったみたいに…とかなんとか形容した人がいた。うまいことをいうものだ。でも、だれがいったのであったか。のどもとまででかかっているのに、どうしても思いだせない。歩いているだけで汗がたえまなくふきでてきて、遠い記憶までとろとろと流しさってしまう。図書館に入るまでに思いだすだろうか。中庭でアジサイの群れにみとれたら、青く眼(め)をそめられた。汗がしだいにひいていき、お粥のことをあっさりと忘れた。毎日まいにち、そうやって記憶がこぼれ、私はただ老いていく。
本を借り一部を複写しにいくと、二階のコピー機は若い男女が使用中だった。私は女性のうしろに立った。しけった紙のにおいをかいくぐって、彼女の地味な衣服からだろうか、遠慮がちなシナモンの香りがしのびよってきた。男は眼がねごしに食い入るように文庫本を読み、ページをえらんでは複写台にのせて拡大コピーをとっている。女はそれをうかない表情でてつだっている。ふりかえった男と眼があった。すかさず会釈し、ふくむところを感じさせない澄んだ声で問うてきた。「あっ、すみません。あと十枚ほどあるので、先になさいますか」。いい終えるや、こんどは手話で彼女になにごとかつたえ、私の返事をまたずに複写台から本を回収しようとしている。そのとき書名が見えた。『将来の哲学の根本命題 他二篇』。
絶句した。のぞきこむようにしてもう一度見る。やはりそうであった。胸に甘ずっぱいものがわいてきた。そこのソファーにすわっているから、ゆっくりやってくださいとかすれ声でいうのが精いっぱいであった。この世から完全に消えていたとばかり思っていた本が街の図書館にあり、しかも若者に閲覧されている。百万分の一ほどの確率かもしれない。だからこそ仰天した。一冊の本が千人の人との出逢(であ)いよりも自分を変えることがある。日めくりでも書いてありそうな陳腐なせりふだけれど、事実である。あの本はそんんな一冊であった。
若い男女はそこだけ透明な遮音膜でかこまれているように静かに作業をつづけている。ときおり手話でことばをかわす。彼女はコピーされた文を読むというより、こころなし憂うつそうに眺めている。私はそれを近くのソファからはらはらしながら見つめ、必死で記憶をたぐっている。たしかに本にはこう書いてあるはずだ。初見後四十数年間、それだけははっきりとおぼえている。「悩むことのできるものだけが生存するに値する」。これまで何万回反すうしたことか。正直、その一行に救われたこともある。悩むことのない存在は「存在のない存在」なのだ、ということも記されていたと思う。二人はあのくだりにこころをひかれるだろうか。
食うや食わずの学生時代に訳書を読んだ。パソコンも携帯もない昔のことだ。ラーメン屋の出前のアルバイトをしながら読書し、安い映画館にかよい、デモにいき、殴られ、殴り、逮捕された。つきなみな経験である。友人からマルクス以前とばかにされたこともある。あの本の著者フォイエルバッハにいつまでもこだわり、マルクスを理解しなかったからだ。まわりがみな秀才に見え、自分はとびきり愚鈍に思えてしかたがなかった。
哲学を「死んだ魂の国」から「生きた魂の国」によびこむ使命のようなこともあの本には書いてある。たんなる「思想の法悦」から「人間的悲惨」のなかに哲学をひきおろさなければならない、とも著者はうったえていたはずである。十九世紀中葉のそれらの思念を、私はいまだにこえることができずにいる。「人間的悲惨」のなかに哲学をひきおろすとはどういうことかと、「人間的悲惨」だらけの現在もなお、いや、いまのほうがもっともっと途方にくれている。二人がコピーを終えた。「おまたせしました」と彼が笑顔でわび、彼女と手話しながら帰っていく。都合二十本の指が、眼の先で夢のようにしなやかに踊っている。シナモンの香りが遠くなる。私のなかで四十数年とどこおっているものを、二人が軽々と飛びこえている気がした。
夕まぐれであった。アジサイが青みをましている。しめった空気を、お粥につかりこむように、漕(こ)いで歩いた。お粥とはだれの表現だったか、思いだせない。

(作家の辺見庸さん)平成20年7月4日地元朝刊掲載