朴念仁の戯言

弁膜症を経て

爺様支える老猫

『動物病院の四季6』ヒゲ獣医師の診療日誌

夏の最後を焼き尽くす太陽が朝からまぶしい。
爺様(じいさま)がオンボロ自転車をキーコ、キーコと鳴らしてやって来る。老猫のタマは、荷台にくくり付けた段ボール箱から悠々と顔だけを出し、逃げようともしない。
「先生、おはよう。こいつ、また昨日から飯食わないだわ」
爺様の野良着は汗びっしょりだ。
タマは雑種のメスで17歳。爺様の連れ合いの婆様(ばあさま)が近くの神社の裏で拾い育てた。
その婆様は、7年前に先立ち、タマは形見でもある。
かつては村の名ハンターと呼ばれ、ネズミ、蛇は言うに及ばず、キジまで引きずってきた。今では往年の筋骨隆々の体格も骨と皮にやせ細り、もうネズミの動きにはついていけない。
しかし、かつての栄光が忘れられないのか、狩りをやめようとせず、最近のお相手はもっぱら縁の下のツチガエルだそうだ。
「院長、虫卵だらけだよ。点滴の用意できました」。スタッフが顕微鏡を見ながら伝える。
「爺ちゃん、例のカエルを食うと腹にわくサナダムシで腸の中はいっぱいみたいよ。もともと小便作る腎臓が具合悪いのに、下痢では体が持たないわ。点滴終わるまでタマに付き添ってくれるか」
爺様は20年前に農協を定年退職して、3反の田んぼと少しばかりの畑を耕して暮してきた。息子夫婦はずうっと前に名古屋に出ていって、今では猫と暮らす。
わずかな年金を分け合い、夜はタマを相手に酒を飲む。野良仕事にも一緒に出掛け、常にお互いを視界の中に入れている。点滴中、タマの頭を撫(な)で続ける爺様。一人と一匹は見つめ合っている。
私は診察の合間を縫って、爺様のいつもの話しに相づちを打つ。若いころ、銭のない農家に肥料の請求書を出さず組合長から処分された話や、子だくさんの独り身の奥さんの田んぼを手伝ってうわさになった話。タマが捕ったキジはうまかった話。
ボロボロの老猫が支える独居老人。
徹底して「狩り」に拘(こだわ)るネコに自分の足跡を重ねる爺様。
支え合う片隅の命に励まされる私である。
(獣医師・石黒利治さん)平成20年6月19日地元朝刊タイム掲載