朴念仁の戯言

弁膜症を経て

プレカリアートの憂愁

『水の透視画法6』袋小路の疲れと屈折

皮膚からみずみずしさが消え、顔がいやに骨ばって、濃くくまどったようになっている。眼(め)はこころなしか黄色くかわき、よれた疲労感をただよわせていた。大学で客員教授をしていたときの教え子と四年半ぶりに会ったら、別人のようにしおれていた。私だってひどく面やつれしているから彼のほうも驚いたのだろう、おたがいが眼をあわさず力なく笑うばかりで、最初はいっこうに話がはずまなかった。どんな仕事をしているのか、暮らしむきはどうなのか、訊くのもはばかられたが、いきなり缶のふたでもこじあけるように彼のほうから打ちあけはじめた。「いまプラカードもちをやっています」
新築マンションのモデルルームへの道順をしめしたプラカードをかかげて日がな一日駅前に立っている。五月の連休からはじめたばかりのアルバイトで、その前は、模擬試験や通信添削の採点、交通量調査、郵便物の仕分け、医療関係のデータの入力、ペットホテルの夜間警備および機械保守…などなど、かぞえきらないほどの仕事を転々としたという。大学卒業後、中堅の広告会社に入社したのだが、軽い鬱(うつ)の症状がでて通院しているうち結局、退社。その後入社試験にはことごとくはねられ、はたらき口はみな安い日当や自給のアルバイトばかり。きもちがだんだん落ちこんで、気がついたら、〝口をきかずにできる仕事〟だけをさがすようになっていたと苦笑いする。
ハンカチにつつんだ小箱のようなものを膝(ひざ)に大事そうにおき、ときおりそれをなでさすりながら話す。「シマリスが入っています。死骸(しがい)ですけど…」。三年もいっしょに暮していたのに昨夜、急死し、悲しくて亡がらをもちあるいているという。口からでかかっていた学生時代のガールフレンドについての問いを、私は何となく呑(の)みこみ仕事の話にもどした。
耳なれないことばを聞いた。「ぼくらプレカリアートとしてアンダークラスにくみこまれたら、袋小路からぬけだすのは不可能にちかいんですよ」。教え子によれば、プレカリアートとは、英語のプレキャリアス(不安定な)とプロレタリアートをくみあわせた欧州の若者の造語。不安定で不公正な雇用状態にあえぐ非正規労働者、フリーター、失業者群などをさすイタリア発祥の外来語である。アンダークラスはたんに「下の階級」かと思ったら、雇用側によって極端に安くやとわれては、なんの保障もなく使いすてられる「新たな貧困階級」のニューアンスがある。新貧困階級はすさまじいいきおいでふえており、「自由で、民主的で、効率的な、事実上の奴隷制」がいまある、と学生時代とかわらぬ皮肉っぽい口調で彼はいう。
二つ問われた。第一問。「このような時代を経験したことがありますか」。これだけの不条理をはらみながら、さしたる問題がないかのようによそおう世間。もともと貧窮し、こころが病むように社会をしつらえながら、貧乏し、病むのはまるで当人の努力、工夫、技能不足のせいのようにいう政治。働く者たちの怒りや不満がその場その場で分断、孤立させられ、いつのまにか雲散霧消してしまうまか不思議。そうした時代を、戦後とおなじぶんだけ老いた私がこれまで見たことがあるのか、と問うのだ。答えにつまり、私はひとりごちた。「価値観の底がぬけているのに、そうではないようにみなが見事に演じている世の中ははじめてだな…」。
第二問。「いま、いったい、なにに怒ればよいのですか」。これにはいきさつがある。私は四年半前までよく授業で「もっと怒れ」と学生をあおりつづけた。イラク空爆されても声ひとつあげない彼らを〝透明なボウフラども〟とののしったこともある。それを受けた問いだ。いまは〈怒れないわけ〉がわかる気がする。返答はせず、反問した。プレカリアートは怒っていないのか、団結しないのか、と。彼も答えようとしない。シマリスのひつぎに視線を落としたまま、うす笑いにも泣き顔にも見える表情でぼそっと吐きすてるようにいう。「自殺多いでしょ。あれって変種のテロじゃないですか」「大恐慌、きますか、きたら、ガラガラポンですよね」。
プレカリアート大恐慌ガラガラポン…かわいた語感に私はおののく。茶渋のような疲れがからだじゅうにひろがっていった。
(作家・辺見庸さん)平成20年5月23日地元朝刊掲載