朴念仁の戯言

弁膜症を経て

出会うこと

私の焼き物の原点は天目茶碗にあります。二十代の終わりごろ、NHK曜変天目茶碗が放映された時、宗像窯伝来の鉄釉(てつゆう)の中にこれに近い輝きを見た記憶が蘇り天目茶碗への挑戦が始まりました。
天目茶碗は天目型と言われるすっぽん口、御猪口(おちょこ)型蛇の目高台を持つ定番を目標としました。作り始めたころは、直径12㌢の小さな茶碗が、テレビで見るとボリューム感もあり、大きく感じました。寸法をしっかり量っても出来上がるとはるかに大きい大天目茶碗になってしまうのです。めげずにひたすら作り続けているうちに集中力も高まり、小さな茶碗の中にボリューム感、力強さ、緊張感を併せ持つ茶碗となったのは、狂ったように作り続けた二年後でした。周りの人は気が触れたのではないかと言っていたそうです。しかし出来上がった天目茶碗は原型の模倣で決して納得できるものではありませんでした。
そんな時、ある人との出会いがあったのです。二十年来、ひそかに宗像窯に御来店いただいたお客様を家内が突然、工房にお連れしました。家内もこのお客様に触れた時、天目を作る上で何かを感じお連れしたのだと思います。私は天目ぐいのみをお見せしました。その時、お客様は「身体に秘そむ造形力が一致している」と言われました。その言葉で今まで色、形にとらわれてきましたが、手で持った時の感触、重さのバランス、見込みの大きさによる質感といった内面の本質を見ることに心掛けるようになり、次第に私の理想とする作品ができるようになりました。
焼き物は「一焼、ニ土、三細工」と言われるように焼きがすべてを決定します。昔から「窯の中には神様がいる」と言われてきました。この神の領域にどのくらい近づけるかがプロの焼物師の努めであります。最後に決めるのは経験に裏付けされた勘働きなのです。五感の働きがバランスよく働き、集中力が最高度に達した時、窯の神様はおいでになるそうです。この五感を高めてくれたのが会津の風土なのです。
私はここ二十年間、毎朝往復一時間、山の宗像神社参りを日課にしております。歩き続けるうちに今まで気付かなかった小さな花々、小鳥のさえずり、すべての風土の感触などが私の五感を鍛えてくれたようです。東京の個展を終え一週間ぶりで出合う自然は、まさに感動そのものです。さらに今まで自然は当たり前のもので、見ても見えずの世界にいたことに気付きました。背骨を伸ばし、呼吸を整え、肩の力を抜き、頭が空っぽになった時、より自然が身近に感じられます。そんな時、作陶のひらめきもおこり得ます。
現在の私があるのはまさに会津という風土の力のおかげなのです。この地に生を受け色々な出会いに恵まれ、作陶できる喜びを嚙みしめる今日、このごろです。
(宗像窯八代当主・宗像利浩さん)※平成20年5月8日地元朝刊より。