朴念仁の戯言

弁膜症を経て

くぐもる「個」の沈黙

『水の透視画法3』乳白色の暗がり

ガラスばりのカフェにすわり、バス道路にできた不思議な銀色の水たまりを、まばたきしながら見ていた。水たまりは妖(あや)しい光芒(こうぼう)をあげて左右にゆらめいている。逃げ水だ。手前の横断歩道でも光が屈曲し、人々の足もとをゆらゆらととかしているので、歩行者は川の浅瀬でもこいでいるようである。真昼の夢の川。
信号がまた青になり、ベージュ色の犬に先導された中年の男女が四人、ゆらめく光のなかを縦一列になって道をわたってきた。みなあごをあげぎみにし、ムカデ競争のように前の者の肩に後ろの者が手をのべて、こちらによいしょよいしょと直進してくる。道をわたりきり、カフェのガラスの壁の前まできて、犬がぴたりとたちどまった。一瞬おいて縦隊にも制動がかかった。サングラスをかけた先頭の人が白杖(はくじょう)をつき、のこる片手をガラスにはわせて犬とともにすすむ。ほどなく自動ドアをさがしあてて、みなで入店してきた。笑い声がした。ほっとして私はコーヒーを一口すすった。
同窓会かなにかの特別の日なのだろうか。全員汗ばんだ顔にはじけるほどの笑みをうかべている。犬だけがなぜだか寂しげで、あきらめのにじむ沈んだ眼(め)の色をしていた。求道者みたいに懊悩(おうのう)を深く埋めた横顔だ。じっと見入る私の視線に気づいたか、犬はぷいと顔をそらせた。サングラスの男性が若い店員と交渉をしている。四人がそろってすわれる席がないか問うているのだ。「席はあるにはあるのですが、みなさまばらばらになってしまいます」と店員はていねいに答えた。窓際のカウンターのスツールがいくつかあいていたけれども、四人がくつろいで語らうのに適した空間ではない。「ああ、どうにかなりませんかね」。男性が懇願した。「申しわけございません…」と店員。
テーブルをへだてた私のむかいの席は空いていた。左となりの円卓も三席のうち一つは空席である。空いた椅子(いす)は店中にあったのだが、まとまった四人分はなかった。その点、店員は嘘(うそ)をついたわけではない。だが、全景はどのみち、この人たちに見えてはいないだろうという、おそらく無意識のきめつけとある種の怠惰から、〈四人のための空席はなし〉が告げられた気が私にはなんとなくした。悪意はみじんもなかったろう。その無意識が、かえってやっかいだなと思う。「困ったね…」。サングラスの人が首をねじり背後の女性にささやいた。女性から笑みが消えて「だめなの?」というつぶやきが吐息といっしょに洩(も)れた。犬が視線を哀(かな)しげに床に落とす。客たちは犬にはいつくしみをこめた視線をなげたが、四人については正視しようとしなかったようだ。
事故で喪明した画家にかつて無遠慮に訊(き)いたことがある。まなうらにいつもなにが見えているのか、と。私はそのとき無意識に黒い闇を想(おも)いうかべていたのだ。彼はふふふと笑って答えた。「見わたすかぎりミルク・ホワイトの海さ」。アトリエの絵の具には点字のテープが貼(は)ってあった。描きかけのキャンバスには、あさぎ色の空の下に濃い藍色(あいいろ)の海が、怖いほどの力でもりあがっていた。見事だった。「想像だよ」と画家はいった。私はといえば、藍色の海は見たことがあるけれど、ミルク・ホワイトとの海は想像するしかなかった。ガラスばりのカフェで、ふたたびミルク・ホワイトの海を想った。私たちよく見える者たちの視界にひろがる、乳色の闇を。
犬と四人は一列になって静かに店をでていった。犬も四人の男女も、ふりかえるということはしなかった。なにも問題はおきなかった。だれにもことさらの悪意はなかった。カフェにはいわば無言の〝諧調(かいちょう)〟だけがあった。とつおいつ考える。なぜだれも席をゆずりましょうといわなかったのだろう。怠慢か。たぶん、それだけではない。その場の諧調をたもつために、みな無意識に自分の「個」を殺したのだ。この国ではいつもそうだ。〈私たちは相席をして、この人たちの席をつくりましょう〉と立ちあがって大声でいえない、あるいはいわせない、くぐもった空気がつねにある。若者が「空気がよめない人」と揶揄(やゆ)したりもする。すぐれた「個」の表現には、しかし、空気をあえて無視した、しばしの乱調がつきものだ。私もいいだせずに犬を見ていた。大問題が出来(しゅったい)していたにもかかわらず。
犬と四人は銀色の逃げ水のかなたにいた。飲みたかったコーヒーも飲まずに、縦一列になって、よいしょよいしょと歩いていった。

(作家・辺見庸さん)※平成20年4月4日地元朝刊より。