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朴念仁の戯言

弁膜症を経て

時ならぬ人と虫たち

『水の透視画法2』永久凍土のとける音

歩道わきの枯れ草のうえを、うす緑の、か細く小さな虫が一匹はい動いていた。立春からまだ日もあさい昼下がり、ゆうちょ銀行にいく途中だった。眼(め)の錯覚かな、と腰をかがめてみると、羽化後まもないらしいカマキリなのだった。小指ほどもない長さの、うす彩(だ)みの夢の切れはしのように、あえかな躰(からだ)を風にふるわせ、よろけながら、ときおり鎌(かま)らしきものを宙にもたげて必死で前進しようとしている。この季節に、と不審がるよりさきに、胸にせまるものがあり息がみだれた。とっぴょうしもなく時節からはずれて生まれてきたこの生き物が、それでも、ぐいと地球をひとりでもちあげているようにもみえた。風のほかに音はない。だが、永久凍土のとけるはるかな音を想(おも)った。
カマキリの赤ちゃんは、よくよく考えれば、時節をはずしたわけではない。おそらく時節といわれてきたもののほうがなくなりつつあるのだ。ソメイヨシノのかえり咲きなどめずらしくもない。真冬にみだれ舞うモンシロチョウの話を聞いて身がすくんだこともある。これまでは「不時現象」などといってきたが、万象いずれも〝時にあらず〟などということはもうなくなってしまった。時そのものがすでに壊れているかもしれないのだ。常ならぬ時空をはうカマキリの赤ちゃんは、三角の頭につけた複眼で、地上ゼロメートルから私の姿をはっきりととらえただろう。なにを感じたか。
ゆうちょ銀行に入ると、愛想のよくない眼鏡の女性がでてきた。応答にせよ動作にせよ、あっけにとられるほど重くてにぶい。満期が近い旧郵便局定額貯金の通帳が見つかったので解約しようとしたのだが、彼女はちょっと待てという。いま解約することの損がどれほどかチェックしたほうがよいというのである。計算をまかせると、すぐすむという見当がはずれてなかなか終わらない。利率たったの〇・二パーセント、二十五万円の貯金である。「急いでいるからもうけっこう」と、ややいらだった声をかけると、他の職員たちが、聞こえないふりをしながらも、横顔にうっすら〈あいつ、まただよ…〉という微苦笑を浮べている。
女性職員がカウンターにもどってきた。動じているようすはない。中途解約はやはり少し損だから、満期までしんぼうして待つか、もしくは利率〇・四パーセントの定額に預けかえたよいのではないかと、まるで天下存亡のわかれ道といった口調で、しかし、旧式のパソコンのようにあくまでもゆっくりと話すのである。かすかに口臭がした。見た目よりほんとうは若いのかもしれないが、くすんだ灰色の古壁みたいに十回見ても記憶に残らないような人なのだ。けれど、なんだか気になった。解約するか預けかえるか彼女は眼で問うている。いいよどんでいると、唐突に「葉っぱ…」とつぶやき、カウンターごしにゆるゆると手を伸ばしてきた。身をかたくしたら、私の上着の肩口についた枯れ葉を一枚そっとつまんで、自分の服のポケットに入れてしまった。ほとんど無表情である。
やっと心づいた。彼女のリズムと気配に、私は皮膚ではいらだちながら、心の奥はじつのところ、なごんでいたのだ。せかず、せかさず、媚(こ)びもしない、飾りのない心映え…それは非効率的で、非生産的であるがゆえの、滋味と安らぎでもあった。さっき見たカマキリの赤ちゃんだったら、まちがいなく彼女の足元にはいよっていっただろう。虫の眼になって、私はあらためて彼女をながめる。さえない。しかし、いきなり蹴(け)られたり踏みつぶされたりはしない気がした。利息〇・四パーセントに預けかえることにする。利き手が不自由で書類を左手で書かなければならないので時間がかかるというと、彼女はまったく面もちを変えずに「平気です」。まる一日かかってもかまわない、といった断固とした調子だった。書きながら〈さっきそこでカマキリの赤ちゃんを見ましたよ〉と告白したくなった。〈はあ?〉といまふうの尻あがりの声でこばかにされたりはしない確信があったから。結局なにもいわずに外にでると、風がまし、カマキリは吹きとばされたのか姿を消していた。
一カ月後にまたおなじ銀行に行った。歩道わきの草地が、塗りたての緑の具みたいに濡(ぬ)れて光っていた。カマキリはいなかった。彼女もいなかった。枯れ葉をポケットに押しこんだときの、あの音のない音だけが幻聴のようにいまも耳の底に沈んでいる。かそけき遠音(とおね)として。

(作家の辺見庸さん)※平成20年3月21日地元紙朝刊より。