朴念仁の戯言

弁膜症を経て

息子を失くして亡母の言葉痛感

今、母親と同じ年ごろになって母のあのときの言葉が昨日にように思い出されます。
母は長男と次兄が亡くなったときは気も狂わんばかりに毎日、毎日泣いてばかりのいたのです。
そのとき私が、
「そんなに悲しいの。代わりに私が死ねばよかったのにな、母ちゃん」
と言ったら母は今まで見たこともないくらいの顔をして私の顔を殴ったのです。
「どこに子どもが死ねばいいと思っている親がいるのか。苦しい思いをしてお産するんだ。この五本の指の一本でもけがをしても痛いだろう。それと同じだよ。親の気持ちが分かるときがきっと来るよ」
と言われました。
私も長男と二男を亡くし母と同じ立場です。

何年か前、ある人に、
「あなたは腰から下がうんと悪くて本当はバイクなんか乗れる体じゃない。今ごろは病院のベッドに横たわっている身なのに不思議だな。あなたは誰かが強い力で守ってくれているんだよ」
と言われたのです。
多分、母と二人の息子が守ってくれているのでしょう。
これからもいつまで働けるか分かりませんが夫と二人で精いっぱい頑張っていきます。
(田巻洋子さん 豆腐製造業 66歳)
※平成20年2月、地元朝刊投稿欄より。