朴念仁の戯言

弁膜症を経て

出会い待つ旅 始まる

「成人の日」エッセー

1976年5月、20歳になる一カ月前、僕は東京・吉祥寺の井の頭公園のベンチに座っていた。高知という片田舎から期待に胸を膨らませて上京した人間にとって、学園紛争後の東京の空気はやけに空々しく、まして自分の将来の見取り図が描けない20歳前の若者に、現実は何の手応えも残さず、むなしく過ぎ去っていた。夢が無ければ、大学生活からは本当の充足感は得られない。人生に対する初めての〝壁〟だった。
その時、公園の新緑の木々のこずえの向こうから風が吹いてきた。その風が僕に言った。
「北へ行けよ…」
「えっ? 北へ行けだって?」
人生で初めて聞いた風の声を信じた僕は北へ向かった。いや、逃げた。いくら希望の大学へ入っても、夢が無ければ日々の現実はむなしいだけだ。自分の内臓感覚の命じるままに動いてみよう。
2万円と50㏄のバイクが旅の道連れ。制限速度の30㌔を守りつつ、初めて見る土地、初めて自分で切り開く未来の予感に震えながら、僕は日本列島をだらだらと北上した。
青森で残金35円になった僕は、幸運にも短期のバイトにありつき、その金で津軽海峡を渡る。初めての北海道。僕の青春の土地だ。一気に層雲峡まで走り、住み込みで働き始めた。朝5時に起きて観光客に自転車を貸す仕事をしながら、僕は20歳の誕生日を迎えた。ゆっくりと明けてくる20代初めての朝日に染まりながら、自分の道を歩いているという実感だけがひりひり僕の肌を刺した。誰も祝ってくれないひとりぼっちの「成人式」。
北海道では、 行く先々の公園で寝袋にくるまって寝た。ホームレスの人たちとも知り合いになった。故郷や大学から離れ、どん底の生活だったが、同時にどん底から物を見ることの大切さを体に染み込ませた。
「understand(理解する)」という単語の語源は、「under(下に)」「stand(立つ)」だ。相手を理解することは相手の下に立つこと。教師ならできない生徒の下に立ち、政治家ならホームレスの気持ちを自分のことのように感じること。それ以外を「理解」とは言わない。
三カ月の旅のラストは函館。そこに「BOP(ばっぷ)」という名のジャズ喫茶がある。そのそばの公園で一週間寝ながら、BOPでひたすら詩集を読んだ。ある雨の日、マスターは僕を店に泊めてくれ、そして言った。「君はとてもぜいたくな旅をしているんだね」
その言葉は、負の方向に逃げてばかりいた僕の後ろめたい心を一挙に解放してくれた。やむにやまれぬ自分の生き方なら、それがどんなに負の方向に向かうように見えても恥じることはない。いや、それこそが自分へ向かう旅なのだ。成人式が「ひとりぼっちの旅」のスタートであってほしい。「tough(タフ)」な旅だが、一度限りのすてきな出会いがきっと君を待っている。

(予備校講師・西谷昇二さん)※平成20年1月10日の地元朝刊より。