朴念仁の戯言

弁膜症を経て

気難し屋

「ご無沙汰だな。体調どうだ」
Hの遠慮ない声を耳にし、同級生の気安さを感じながらも勤務中に掛かってきたせいか、外づらと内づらの切り替えがすんなりいかず、変に身構えてしまい、それはぎこちない声音となって表れた。
「おう、久しぶりだな。変わりねえ」
「おめえはビョウジャクだからな」
Hの、ビョウジャクと言う言葉と語尾にひやかしの嗤いを含んだ物言いが癇に障った。
「おもしろくねえーごと言ってんな」
不機嫌にそう言うと、
「病弱」
Hは同じ言葉と含み嗤いを繰り返した。
嗤いが耳に響き、感情の深部に針の痛みを感じた。
怒気の膨張を抑えるように黙っていると、
「お盆にSのどこに皆集まんだけど、おめえもどうだ」
とHは本題に入った。

Sが死んで何年経つだろう。
Sが自死した翌年の盂蘭盆会から数人の同級生がSの墓参りをした後、Sの家を訪ねるようになった。
Sの母親は毎年、私たちが来てくれることを喜び、宴の場を設けてくれた。
毎年そうしてくれることに心苦しさを覚え、宴の場の冷房のない部屋で汗で纏わりつく衣服に閉口し、友人たちとつるむことに没個性を感じ、数年後には一人で墓参りするようになった。

Hの誘いに、
「わざわざありがとな、考えておく」
意志薄弱に答えた。
「14日の3時、いつものとごで待ち合わせだ。T、M、Oも行ぐ、Nは行がんにぃー」
「考えておく」

「行くべえ、もういいべえー」
Hの声は尻上がりに一声大きく、ひとり別行動する私を批難するように聞こえた。
「承っておくよ」
「行くが行がねえが、後で返事ちょうだい」
「それなら今言うよ、行がねえ」
「おめえ、それはねえべ。お盆の時、皆集まんなら誘ってくろと言ったのはおめえだべ、何でだよ」
一昨年、友人Kが大腸癌で亡くなった後で確かにHにそう言った。
一瞬、言葉に詰まり、蝉の抜け殻のような自分を感じ始めた時、隠れていたもう一人の自分が唐突に口を開いた。
「面倒くせえ」
感情が理性を上回り、感情的な言葉が迸った。
その後の会話はよく覚えていない。
ただHの宥めるような声に生返事で応じ、じゃあな、で終わったことは覚えている。

最近頓に客観的に言葉で説明するのが面倒になった。
仕事の時もそうだ。
説明しているそばから自分の言葉が言い訳がましく、耳障りに聞こえる。
無駄口を叩かなくなり、周囲から煙たがられているのを肌で感じる。
齢五十を越え、もういい加減、周囲に無理に同調して生きたくもなくなった。
生理的直観的に自分に正直であればそれで良しだ。
「おめえは変わりモンだからな」
Hにはそう言われたこともあった。

あの時、本当はこう言いたかったのだ。
「面倒くせえ野郎だ、おめえはよ」
と、自分自身に。