朴念仁の戯言

弁膜症を経て

老いの行方

車をバッグして玄関前に乗り入れると、M伯父が丁度玄関口に出て来た。

伯父は目を見開き、びっくりしたような顔で私たちを凝視した。

「Mさん、元気だったがよー」

車の窓越しから母が訊ねた。

「あれ、誰だっけ、あのー、うー」

伯父は言葉にならない言葉を発し、うろたえた。

困惑している様子がありありと見て取れた。

運転席から降りた私は、「おじちゃん、分かる? オレだよ、A町の」と母に代わって声を掛けた。

「あー、うんうん」

ようやく思い出したらしく、笑顔を浮かべ、何度も何度も頷いた。

その内、伯父の顔が見る見る間にくしゃくしゃになった。

「すぐ涙出て、だめなんだ」

伯父は使い古しの薄汚れたタオルを手にして、ぐずぐずと溢れる涙を拭き取った。

玄関先でのこの数分間のやりとりで、伯父に寄せる老いの月日の非情なまでの早さを骨身に感じた。

「猫、まだいんの(飼ってるの)?」

母は玄関の上がり口でスリッパに履き替えながら伯父に訊いた。

伯父は義姪が捨て犬同然に置いていった犬一匹と二匹の野良猫の面倒をみていたことがあった。

「猫? いるよ、一匹。昼間、外に出て、夜、戻って来る」

茶の間を兼ねた家の北側に面した台所に入ると微かに異臭がした。

みかん箱を半分に詰めたほどの大きさの白いプラスチック容器が二つ、その中には白い玉砂利のようなものが入って床に置いてあった。

「こっちが小便用、そっちはウンコ用。臭い、しねべ」

「うん、(臭い)わがんねぇーない」

伯父の問いかけに私は伯父の優しさを踏みにじるような気がしたのだろうか、胸の内と裏腹に別の言葉が口を衝いた。

「おじちゃん、ビール買ってきた」

手にしていたビニール袋を少し持ち上げて伯父に見せた。

伯父は、「なんだい、何も買ってくっこどねえぞ」と手を振った。

缶ビールが入ったビニール袋をテーブルの上に置いて、「(いつも)酒飲んでの?」と訊くと、「飲んでる。今も酎ハイ引っがけて散歩に行ってきた」と伯父はそう言って調理台の上の潰された空き缶二つを指差した。

「飲んで散歩行ぐのはあぶねえよ、大丈夫がよ」と注意すると、伯父は、「大丈夫だ」の一言。

潰れた空き缶は台拭きの上に横にして置いてあった。

空き缶の中を水で綺麗に濯いだのだろう、伯父の几帳面な性格を思い出した。

テーブル席に着く前に母と居間に向かった。

居間には西日が差し込んでいたが、障子戸が日射しを柔らかに遮って仏壇を淡く光らせていた。

伯母が仏壇から笑顔で迎えてくれた。

ふくよかな伯母の懐かしい顔。

手土産替わりの缶ビール1本を供え、母と線香を手向けた。

伯母の写真の脇には過去帳が開かれ、右端に戒名と年月の二行が記されていた。

平成十八年一月 六十四歳

「もう、って言うが、まだ10年なんだ、おばちゃん亡くなって」

私の言葉に母は黙っていた。

二人の姉を亡くした母は疾うに二人の生前の年齢を越え、その時、言葉にならない何かに囚われたようだった。

「おじちゃん、缶ビール冷蔵庫に入れておくよ、一本飲む?」

「うん」

冷蔵庫の中は意外に整理されていた。

缶ビールのプルタブを抜き、テーブルを挟んで伯父の前に置いて座った。

「飲むが?」

「だめだよ、車だから」

私はハンドルを持つ仕種をしながら応えた。

「ほら、下、見でみろ、こんなにあんだぞ」

伯父はそう言ってテーブルの下を軽く蹴った。

テーブルの下には大きな半透明のビニール袋に数十本の酎ハイ缶があった。

「Sが買ってくんだ」

長男のSは離婚後、実家に戻り、両親と生活するようになった。

今は伯父との二人暮らし。

「何もすることねえし、あと死ぬだけだべ。どうなってもいいど思って、酒飲むしかねえべ」

伯父のやけくそ気味の言葉に返す言葉が見つからず、苦笑いで応じた。

母が身内の近況を訊ねた。

伯父の妹のT子が、娘が住むアメリカに行ったとかで、向こう三ヶ月ほど滞在して7月に帰って来るとか。

母「三ヶ月もじゃK介さん(T子の夫)、食事の準備とか大変だべな。どうしてK介さん置いでいったの」

伯父「なんか机の上に二台テレビ置いて、毎日朝から3時までそこがら離んにでテレビ見てで、そんで嫌になったってT子は言ってだ。オレもK介の邪魔になんねえように3時前にはT子の家には行がねえ」

私「それ、株じゃねえの」

伯父「わがんねえ」

私「多分、株だよ。パソコン二台置いてやってんだと相当だない。K介さん、株やるような人じゃねえべな」

母「(夫婦)喧嘩でもしたの?」

伯父「わがんねえ」

母「Y子は元気でやってんの」

伯父「Y子? 誰?」

私「伯父ちゃんの娘のY子ちゃん」

伯父は顔を顰(しか)めた。

母「Y子、Y子だよ」

伯父「T子?」

母「いや、Y子。そこに住んでるY子」

母が、Y子が住んでいる方向を指差しながらそう言うと、伯父は、「あーあー、Y子」と大きく頷いて、「Y子は元気だ。二、三日に一回来る。食い物持って」と言った。

やおら伯父が立ち上がって冷蔵庫を開けた。

「あれ、ビール入ってる、何だべ」

「ビール買って入れて置いだの」

私がそう言うと伯父は、「あーそうが。これ見でみろ、賞味期限いづだが分がんねえ、(冷蔵庫の)中、整理しねえど」と言ってトマトケッチャップを摘み上げた。

その後、孫の話やら、置いてけぼりをくらったK介、T子、Y子と話が行ったり来たりしながら、久しぶりに伯父との一時を過ごした。

帰りに伯父が世話している猫を見せると言って庭の西端に向かった。

伯父の指差す隣家と境界線替わりのブロック塀の上に灰色に薄茶が混じった斑模様の猫がいた。

外界との接触を遮断するかのように頭隠して硬く丸まっていた。

「この猫、耳聞こえねんだ。昼はここでじっと寝でる」

伯父がどういう成り行きでこの猫を世話するようになったかは知らない。

蹲っている姿を敷地内で何度も見掛けたからか、それともいつも間に家に何度も出入りするようになったからか。

台所で話した伯父の言葉が蘇ってきた。

「(猫は台所の)洗い場のここに寝んだ。こんな細いどこに。落ちそうになって。小便もここがら洗い場にする。すぐ水流すがら臭くねえべ」

洗い場のここ、とは、洗い場の二つを仕切るステンレス製の僅か三寸幅のところ。

落ちないよう寝やすいようにと四角い渡し板を敷いてやってもそれを嫌がり、この三寸幅の寝場所を変えることはないと言う。

耳の聞こえない野良猫が自然の中で生きていくには毎日が大小様々な試練だったろう。

試練を重ねていく中で何ものにも侵されない安息の場所となったのが僅か三寸の地。

伯父の話では耳が聞こえないせいで車に轢かれたこともあったらしい。

人に嫌われ、石を投げられ、車に轢かれ、縄張り争いも出来ず、そんな過酷な日々の積み重ねが人目につかない場所でじっと過ごすことを選ばせ、それが生きる術となり、今では伯父という伴侶に恵まれ、不思議な安らかさに戸惑っているのではないだろうか。

聾の斑猫と、株に取り込まれたK介。

そして83歳の伯父は、この日、最後まで私と母の名を呼ぶことはなかった。