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朴念仁の戯言

弁膜症を経て

銀色のはるか途上に試練あれ 

「遠い遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとりひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道」

仕事帰りにいつもの道を走らせていると、ラジオから懐かしいメロディに乗って淡々と歌詞が流れてきた。
春の歌の特集らしい。
春は、旅立ち、別れ、希望を連想させるが、長年、世間の汚濁にまみれていたせいか、そんな感性とは縁遠いものになってしまった。

人の道はそれぞれにあるらしいが、私は私の道を今、歩いているのだろうか。
歩いているとして、果たしてその道はどこへ続いているのか。

「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」
武者小路実篤の有名な詩だが、このように確信して我が道を歩める人がうらやましい。
人として生きる、それを道とするならば、その終着点は死。
人の道はそれで終わるが、命の道はなお続く。

 「ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが 頑張ろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く続く あしたも続く
銀色のはるかな道 

続く続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
二人の星よ 照らしておくれ
近い近い 夜明けは近い
銀色のはるかな道

続く続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
二人の星よ 照らしておくれ
近い近い 夜明けは近い
銀色のはるかな道 はるかな道」

 この歌詞の「二人の星よ」は、我が子を導く両親のように思われるが、受け手によってそれぞれ解釈は異なろう。
同行二人(どうぎょうににん)という言葉がある。
四国八十八箇所巡りでお遍路さんの白装束の背にそれが大きく書かれているのを目にすることがある。
お遍路とお大師(空海)が二人連れという意味で、一人で歩いていても常に弘法大師が傍にいて道中を守っていてくれるとか。
「二人の星」の二人、私の解釈もそれに近い。
見えない星のような存在が、常に個々の人を見守っていてくれる。

百人百様、道は違っても夜明けという目的地は皆同じ。
人は人、我は我。
ふと心掴まれた歌。
人として生まれた理由は、誰もがその夜明けという目的地に辿り着くことにあるのだろう。
肉体の死を迎える前に多くの気付きを与えられ、その都度感謝の念深くするばかり。

 

銀色のはるか途上に試練あれ 限りある身の力ためさん