朴念仁の戯言

弁膜症を経て

耳で見て 目で聞き 鼻で 物食ふて 口で嗅がねば 神はわからず

宮本信子主演の「ミンボーの女」だったか、老婦人がスーパーで手にする食品を次々と指で押し潰すシーンがあった。

実は母がこれに近いことをやる。

その度に私は、「買いもしないのにだめだよ、握っては」と強い口調で窘める。

すると母は、「つい握りたくなるんだよね」と幼子のような顔をして笑う。

母だけではなかった。

妹と買い物に行った時、妹が母と同じことをやり、私は同じように妹を窘めた。

実にそう言う私も共犯者で、触りたいという誘惑の微かな自覚を感じながら、その誘惑に抗うこともできずについ触り、後ろめたくも果物なら指先に僅かの力を入れて、その硬さ、新鮮さを確かめていたのだ。

そんなことを、国立民族学博物館の准教授・広瀬浩二郎氏が出演した番組を見て思い出した。

番組タイトルは「さわって広がる心の絆」だった。

広瀬氏は、中学一年生の時、病で全盲になり、それ以後、盲学校で必然的に点字を覚え、京都大学に進んだ。

高校卒業時、按摩師や鍼灸師を目指す同級生が多い中、担任の先生の一言で進学を決めた。

「どうせなら好きなことを目指しなさい」、その一言で。

番組の中で、広瀬氏は健常者という表現に違和感を覚え、「見常者(見ることが常の人)」に、盲人を「触常者(触って認識することが常の人)」と言い換え、五感という言葉も「感覚の多様性」と表現していることを話した。

現代は視覚的要素が大きく、情報の大半は目から入って来るという。

従来、意思伝達の主は口と耳だったが、携帯電話の普及でメールが主となり、確かに目から入って来る情報量は格段に多くなった。

それによって本来備わっている豊かな感覚(目以外の耳、鼻、口、皮膚、直観)が疎かに、感覚機能が停止状態になってしまうという弊害が生じつつある。

感受性が乏しくなってくる。

そういう意味では目だけでなく、身体全ての感覚を働かせ、その一部の触覚で確認することも大切なことと、スーパーでの一コマが頭に浮かんだ。

 

今度からは母の確認作業を大目に見よう。

「母ちゃん、ほどほどに」と。