朴念仁の戯言

弁膜症を経て

お布施

チリーン、チリーン。

職場での昼休み、どこからともなく鈴の音が聞こえてきた。

読んでいた本から目を離して聞き耳を立てた。

ラジオから流れてきたのか、スピーカーのほうを見やると目の端に正面玄関に立つ人影が映った。

玄関口を正視すると網代笠の僧侶の姿が見えた。

この日は私一人。

僧侶を認めた高揚感が昨年の情景を思い出させた。

その時は僧侶の突然の出現に現実感が伴わず、身体がすぐに反応できなかった。

十数秒後、現実として受け入れ、財布を手に玄関に向かったが、時すでに遅し、僧侶は立ち去っていた。

私はサンダル履きのまま、僧侶の姿を追った。

僧侶の足取りは早く、師走の寒風吹く中、三十メートル先を弾むように歩いていた。

私は何かに打たれたようにその場に佇み、僧侶の背を見送った。

 

あの時の僧侶であろうか。

机の中から財布を取り出し、金を抜き取って玄関に向かった。

自動ドアが開くと僧侶は頭を下げた。

僧侶は右手に鈴を、左手には黒の鉢を捧げ持ち、私と向かい合った。

鉢の中には銀貨、銅貨の小銭が幾つか見えた。

黒色の袈裟には行雲流水の文字が書かれていた。

「ご苦労さまです」

と声を掛け、鉢に金を入れた。

僧侶は顔を上げ、驚いたように目を見開き、お経を上げた。

網代笠の下には銀縁の眼鏡を掛けた坊主頭の、童女の幼さを残した女の顔があった。

歳の頃は二十代後半か三十代頃だろうか。

その顔は寒さで強張り、唇は白っぽく変色していた。

濁り切った世に抗うような清さに自然に頭が下がった。

視線の先には、僧侶の、素足に草鞋履きの足元が見えた。

顔を上げると、僧侶は次なる先へ歩みを進め、颯爽と街角へ消えていった。

去年と同じ僧侶だろう。

寺の跡取りとしての修行だろうか。

一般的な女の歩みと異にした生き方に、悔いや迷い、幾多の葛藤があったことだろう。

果たして今、それらは雲散霧消したものか。

そんなことをつらつら考えながら、同時に托鉢を装った詐欺に遭ったとしても、仏道に身を投じ、日夜、世界平和を祈願して下座行に徹していると信じて疑わなかった私の感謝の想いは消えることなく、況してや後悔に変わることなどない。

この後、また本を手に取ってみたが、非日常の夢心地に満たされていたせいか、文字たちは上滑りしてなかなか頭に入って来ようとしなかった。