朴念仁の戯言

弁膜症を経て

色欲

先月の休日勤務時、仕事で付き合いのあるKが予告なしに職場を訪ねて来た。

Kは、社員駐車場に私の車を見掛けたから寄ったと言った。

Kの与太話には付き合いたくなかったが、気持ちを切り替え、席を勧めた。

珈琲は、と訊くと、大きくかぶりを振り、いいよ、いいよと断るので、それ以上強いるのは止めた。

Kの用件は借用物の依頼だったが、果たしてそれが本題ではなかった。

 

「今、警察に行ってきたの」

「えっ、何かしたの」

「携帯でアダルトサイト見てたら、いつの間にか契約になっちゃって、12万円支払うようになっちゃってさー、いやーマズイなこれはー、請求書が来る前にと思って警察に行ってきたよ」

 

Kの与太話はいつものことで、以前はこれに付き合うのも仕事上必要な社交性の一つと自分を言い包めていたが、不惑の年を過ぎた頃から胸糞悪い感情を抱えてまで我慢することもなかろうと態度を変え、言うべきことは言うようにした。

 

「Kさん、恥ずかしくないの」

「警察に行くのは恥ずかしかったよ、でも間違いないでしょ」

「Kさん、歳考えなよ」

「えっ、Bくんは女に興味ないの、アダルト見ないの」

「興味ないですね、パソコン普及したばかりの時は見ましたよ、でも今は見る気もないですね」

 

Kは私の二つ上。

Kとはいくつかの共通点がある。

心臓手術、長男、家族構成、眼鏡に禿頭。

心臓手術に至った2年前、Kは私の入院一月前に同じ病院に入院し、バイパス手術を終えていた。

執刀医も同じく、Kは経験済みの優位さから手術前には何かと助言を呉れ、不安な気持ちを和らげて呉れたが、多弁さは相変わらずで、同室の患者の内輪話や看護師の器量の善し悪し、食事内容といった底の浅い上っ面の話に、私は内心うんざりしながらもそれを隠すように欺きの笑みを浮かべてやり過ごした。

心臓手術は私にとって大きな転機となり、それは今も内的変化となって少しずつ進行しているように思える。

Kには、気付きも、何の変化も齎さなかったのか。

 

Kよ、色情狂の同類と見なして俺に疚しい話を持ち掛けてくるのか。

Kの眉間を射貫くように見詰めたが、彼はその非言語行為の意味を解することなく、話を続けた。

もうここで話を切り上げよう。

視線を戻し、Kの調子に合わせるように訊いた。

 

「で、警察にはそういう専門(ネット犯罪担当)の人間がいるんですか」

「いや、対応したのは普通の警官で、こういう場合は必ず本人の意思確認をすることになっていて、『契約しますか、はい・いいえ』の表示があってどちらかをクリックしてはじめて契約が成立するから、このサイトはその手順を踏んでいないからメールの請求は無視して、もし何かしら請求が来たらまた署に来て、と言われて安心したよ」

「なるほど、そういうもんなんだ、参考になりました」

 

Kが帰った後、身体にとぐろ巻く色欲という魑魅に思いが至った。

中高生時分は、この絶え間なくくねり絡み合う色欲に散々に振り回された。

Kは糖尿病も抱えているが、彼の様子からすると病による身体の衰えと色欲の減退は等しくないらしい。

Kは恐らく、過去に満足に色事、情交を重ねる機会がなかったのではないか。

その鬱積した色欲が、50過ぎの、インシュリン注射漬けの身体に今も蠢き、他人のまぐわいに自分を重ね、悶々として解き放つのだろう。

私が色欲に距離置けぬKだったならば、猛る陰茎を握り締め、ひと思いに切り落としたいと歯噛みし、人寄せ付けず、自虐の人生を生きたことだろう。