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朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人の哀しさ

「普通、普通って、何が普通なんだ」って言うんだよ。

そんな言葉が母と妹の会話から聞こえてきた。

妹の夫が何かの折に口にしたらしい。

義弟と同じように私も普通という言葉には久しく違和感があった。

普通、または常識という言葉。

何を、誰を基準にして普通という言葉が出るのだろうか。

 

20代、30代の頃、普通という価値基準、別の言葉に置き換えると欲望の対象、それに振り回されて生きてきた私。

金銭、衣食住に関する品々、女、職場の地位…。

その結果、貪(とん)(むさぼりの心)、 瞋(じん)(怒りの心)、癡(ち)(迷いの心)の三毒をいつの間にか吞み込んでいたことも知らずに足元が覚束なくなっていた。

そんな時、「鹽壺の匙」という本に出合った。

人間の業の深さ、想念というものが文字世界を超え、異様な力で迫ってきた。

誰もが胸底深く自覚のない狂気を抱え、異常とのはざまに生きていることを知り、妙に救われたような気がした。

座敷牢に閉じ込められていた狂気、愚かさに光をあて、世の流れに同調することなく生きていこうと思った。

人は人、我は我。

 

もの書きのあるべき姿を教えてくれた車谷長吉氏が5月17日に亡くなった。

享年69歳。

「鹽壺の匙」を読み直し、人だけが知り得る死への哀しき道程、そこに己が身を浸らせ、異界へ旅立った車谷氏への餞としたい。