仕事帰りに給油を済ませ、いつもの田園風景の中を夕陽に向かって車を走らせていると、突如眼の端のほうからチカチカと稲妻状に点滅するものが現れ、視界を妨げ始めた。
身体の異変を不安がるよりも見えないものが見えるようになったかと、その後の展開を楽しむ気持ちが勝った。
右目を瞑ると左目も同じように見えた。
稲妻状の点滅はある程度の大きさになると、それ以上特別な変化もなく点滅を続けた。
車窓の過ぎ行く景色に然して気を留めないように、目の異変も夕陽を見詰めたせいだろうと軽く受け流し、見づらくなった視界に注意しながら車を走らせた。
まもなくすると眼窩の奥が鈍く痛み出し、高校時代に診断された緑内障を思い出させた。
痛みを感じると次は嘔吐感と倦怠感が入り混じったような不快が伴った。
家に着くなり、「ただいま」の語尾を引き摺ったまま足早に自分の部屋に入り、服を脱ぎ捨て、ベッドにすべり込んだ。
中途半端な嘔吐感と鈍痛は1時間近く続いた。
一昨年の心臓手術後、眼奥の痛みは伴わないが、不思議と稲妻の点滅が頻出するようになった。
職場での会議やパソコンの作業時、またはひょいと頭を動かした拍子に、モヤモヤ、チカチカが現れる。
定期的に通っている眼科医に稲妻の症状を伝えると、眼科医は、「脳の神経に因るものでしょう。気にしないでいいですよ」と簡単に答えた。
この病院では三人目の眼科医だ。
一人目は原発事故で中国に逃げ帰った。
二人目は、診察中に私の質問の何に気が障ったのか、口調に怒気が交り、次の予約を取る段になってその眼科医は、「(中国人医師がいなくなったせいで)もう患者が一杯なんです。いつにしますか」と捨て鉢気味に言い放った。
紡いだばかりの綿毛の糸がたやすく引き千切れるように、私の堪忍袋の緒は眼科医の感情的な口ぶりに引っ張られ、何の抗いもなく切れてしまった。
「予約はしません」
私の耳は私の口がそう言うのを聞いた。
「えっ、いいんですか」
私は席を立ち上がり、「ええ、結構です」と言って診察室を後にした。
後日、その病院の理事に電話を入れ、担当課の職員とその理事、私の三人で話し合った末、次の三人目の眼科医が決まった。
医者である前に一人の人間であれ
誰かの言葉か、それとも何かの本が介在したものか分からないが、このような眼科医にぶつかるとこの言葉が頭に浮かぶ。
命を左右する心臓手術を前に転院したのも医師への信頼を喪ったことに因る。
医療従事者には押しなべて、特に医師たちには知識、見識、技術を磨くと同時に、仁愛を学べ、と言いたい。
少子高齢化による医師不足や増大する高齢患者、医療事故など医療現場の過酷さは理解できるし、立場も分かる。
それでも古い受け売り言葉になってしまうが、医は仁術なり、だ。
医を算術に貶める似非医師の手中でもがく身の患者が気の毒だ。
巷では群馬大学病院で腹腔鏡の手術を受けた8人の患者が死亡した事件が話題になっていた。
ここ4年間で肝臓の手術を受けた8人の患者が手術後に相次いで死亡した。
病院側は8人の死亡を過失として認め、謝罪した。
執刀者はいずれも第二外科の同医師。
この医師による診断書の虚偽記載も発覚した。
いつから医師の心を喪ったのか、元々人の心を持ち得ない人間が医師になってしまったのか。
こうなるまで原因究明を怠り、放置していた病院側の罪も重い。
職業に貴賤なし、とは一般的に職業で人を差別してはいけないことを指すが、私は、「人間の偉さは肩書き一切に関係なく、素の人間にある」と解釈する。
さて、今のところ、年若い三人目の眼科医に医師としての過不足はないが、気にしないでいいと言われても症状が出れば気になるものだ。
パソコンに適当に文字を打ち込み、それとなく検索すると、閃輝暗点という聞きなれない症名に症状が近いことが分かった。
さらに検索を進めると思いがけない事実に行き当たった。
弁膜症の手術をした人たちに閃輝暗点の症状が多かったという内容。
次の受診時、第三の眼科医にこのことをぶつけてみた。
眼科医は閃輝暗点の症名を知らないようだった。
と言うのは、閃輝暗点という聞きなれない症名のせいでうろ覚えに暗輝症と誤って眼科医に伝えてしまったものの、眼科医はそれに対して首を傾げ、症名の訂正もせず、一言も閃輝暗点と口にすることなく、言下に手術や服用薬との因果関係を否定したからだ。
眼科医は、最後まで柔和な表情を崩さず、医師として自尊心籠った強気の言葉に終始した。
二番目の眼科医の件もあり、この程度の中身でそれ以上食い下がるのは止めた。
ともあれ、卵を雛鳥に孵す親鳥の気持ちで、この若き医師とはしばらく付き合っていこう。
人間誰もが今生修行の身にあるのだから。