朴念仁の戯言

弁膜症を経て

疾病経過

弁膜症の発症から手術までの経過概要は次の通り。

平成17年10月 

市内A病院(K医師)にて僧帽弁逸脱症、僧帽弁閉鎖不全症と診断される。

平成17年11月 

心臓カテーテル検査のためA病院に入院。検査結果、MRⅢ度であったが、心機能良好、運動耐容能も保たれていたため、減塩、利尿剤の投与等にて保存的治療方針とされる。その後、外来加療(一ヶ月半に一回の割合で通院)で経過観察。

平成23年

心房細動の出現、心機能の悪化が見られる。K医師のこれまでの診療に不信感を抱く。

平成24年

この年、夜間に呼吸困難が頻回、死を強く意識する。K医師に手術の時期を問うたところ、「患者の方から、苦しい、どうにかしてくれと言ってくるから」と言われ、K医師への不信感、ますます募る。

平成25年1月

自分の直観に生死を託す想いでK医師の診察に臨む。K医師にセカンドオピニオンについて問うたところ、不信感を決定付ける返答があり、その場で転院を決意、即時、転院先への紹介状を乞う。

同年2月

転院先の市内B病院(M医師)を受診。検査結果、収縮期左室期径42mm、持続的心房細動の移行ありとして手術適応となる。病名は、僧帽弁閉鎖不全症、三尖弁閉鎖不全症、うっ血性心不全、持続性心房細動。

同年4月1日

手術のためB病院入院。

同年4月4日

手術(僧帽弁置換術、三尖弁輪形成術、メイズ手術)実施。

同年4月22日

退院。

同年6月1日

職場復帰。

 

以上、書いてしまえばこれだけのことだが、発症から手術までの7年6ヶ月が齎したものは途轍もない人生の糧だった。

平成25年4月4日、私は生まれ変わった。