朴念仁の戯言

弁膜症を経て

新聞投稿ボツ原稿①

弁膜症の手術をした平成25年の10月以降に地元紙に数度投稿した。

手術前に投稿したかったが、身内に強く反対されて止めた。

もしものことを考え、生きた証を残して置きたかった。

手を伸ばせば、死がその手を握り返してくる間近さ。

当時、私の片足は死の世界に掴まれたようだった。

 

手術後の投稿文は二度掲載された。

掲載された一つは歴史上の人物に関したもの、もう一つはノーベル平和賞に選ばれなかったマララさん(翌年受賞)のこと。

それ以外は全てボツ。

日の目を見ることがなかった原稿三点に光を当てたい。

今回はその一つ、表題は「畏れを知る」。

 

震災の二ヶ月後、今生天皇、皇后両陛下は福島県の避難所を訪問された。

そのご様子がテレビに映し出された。

被災者と同じ目の高さまで跪かれ、一人ひとりにお声をかけるお姿は鮮烈な印象となって私の心底に刻まれた。

昨年の十月には川内村除染作業を視察された。

両陛下の強いご希望からだという。

その際、美智子さま明仁さまの万一に備え、白い運動靴を履かれていた。

国の安泰と国民の安寧、そして五穀豊穣を願い、古来より連綿と続く儀式を、今なおひっそりと国民の見えぬところで執り行っておられる両陛下のご行為は、縁ありて日本人の一人として生まれた我身に、西行の一首、「なにごとの おはしますかは しらねども  かたじけなさに なみだこぼるる」を想い起こさせる。

天平時代、聖武天皇の皇后になられた安宿媛(あすかべひめ)(光明皇后)は信仰心篤く、貧しい人を救うために悲田院や施薬院を建て、また自ら癩患者の世話までされたという。

皇族以外初の皇后、安宿媛美智子さまのようなお人ではなかったのか。

崇高な仏像を思わせる美智子さまの神々しいまでの佇まい、それは御心の光輝さ故だろう。

※今回掲載するにあたり、原文一部変更。