朴念仁の戯言

弁膜症を経て

大切なこと

弁膜症の経過記載は一時中断。

追々やろう。

 

病を得て、生死の狭間に追いやられ、自己を見詰める機会が多くなった。

死んだらどうなる?

なぜ生まれた? 何のために?

なぜ日本に? この地に?

自分を支える何かがほしくて、頼りない自分の感性に助けを求めた。

本に、新聞記事に、テレビに、季節の移ろいに、鳥に、昆虫たちに…。

一昨年の9時間に及んだ開胸手術のお陰で今ある自分。

その時、死を覚悟して胸に強く迫ったものは、「お前は感謝される人間であったか」の声。

あぁ、俺はその問いに応えぬまま死を迎えるのか…。

後悔先に立たず…。

身内は少なからず感謝してくれるだろう。

でもそれは血が為すものであって 自然なこと。

同じ人間としての他人からは?

否、誰一人からもその実感を得ることはなかった。

 

日常、何の支障もなく過ごせる今、大切なことに気付かせてくれた病、そして陰日向なく働く「心の臓」には感謝の言葉しかない。

平凡な毎日の繰り返しと錯覚し、目の前の現象に振り回され、大切なことを忘れがちになることが多いが、時々空を見上げ、思い返す。

新聞を見れば平凡な当たり前の毎日などないことに気付く。

与えられた余生、肉体が朽ちるその時まで、人間として大切なことを、少しずつ自分の立ち位置で実現していきたい。