朴念仁の戯言

弁膜症を経て

二人の患者

また厄介な病を抱えてしまい、総合病院の消化器科に通う羽目になった。 診察予約の日、待合室に向かうと、外科室から出てきたばかりの男と移動用ベッドに横たわった婦人が目に入った。もう一人、看護師のような病院服を着た、ずんぐりむっくりの婦人の姿もあ…

老いの行方

「脳に問題があって、もう務めることができません」電話の相手はいつもと変わらぬ口調で淡々と話した。町内会の役員も断ったという。電話の話具合からは脳の障害は少しも感じられないのだが・・・。自宅の玄関を閉ざし、外部との接触も遮断しているとか。それほ…

アウシュビッツ到着 ①

(もしわれわれが強制収容所においてなされた豊富な自己観察や他者観察、諸経験の総体をまず整理し、大まかな分類をしようと試みるならば、われわれは収容所生活への囚人の心理的反応に三つの段階を区別することができるであろう。すなわち収容所に収容され…

「夜と霧」出版社の序

1931年の日本の満州侵略に始まる現代史の潮流を省みるとき、人間であることを恥じずにはおれないような二つの出来事の印象が強烈である。それは戦争との関連において起った事件ではあるが、戦争そのものにおいてではなく、むしろ国家の内政と国民性とにより…

ひとりで死んでも「幸せな人」だった

私は一度だけしんちゃんに会ったことがあります。祖母を亡くした葬儀の時です。私が満4歳を目前にしていた時ですが、わりとよくその時の情景を覚えています。当時、私と両親は大阪に住んでいました。祖母は祖父、長女、次女とともに4人で富山県に住んでいて…

不運続きだった「本の虫」

しんちゃんは山本信昌(のぶまさ)という名前でした。信昌の信の文字から家族は「しんちゃん」と呼んでいました。母は男二人女三人の五人きょうだいの下から二番目。しんちゃんは末っ子です。私が大学生だった頃しんちゃんは52歳で亡くなっています。 第二次…

無駄な時間なし

前日、めったにひかない風邪で学校を休んだ。何かを予感していたのかと、今何となく思う。 あの日が家族や友人、大切な人と穏やかな日常を過ごせる最後の日になった人たちがいる。問い掛けたところで、返事は永遠に返ってこない。 どこにいるのかいまだに不…

悲しみ癒えることなく

「あのときの息子の体の冷たさ、それが原点です」全国自死遺族連絡会の代表理事田中幸子(70)の長男健一は2005年11月、34歳の若さで自らの命を絶った。当時、宮城県警塩釜署の交通係長。 連絡を受けて仙台市の自宅から署の官舎に駆けつけ「体に触ると氷より…

6歳の誕生日に

昨日、職場で新たな上司と世間話をしているうちに今日が6歳の誕生日であることに気が付いた。その日の命かと、不安と覚悟の日々から解放された今日(こんにち)の安心感が、この大事な日を忘却の彼方へ追いやろうとしているのか。この日を何の感慨もなく迎え…

象徴のうた 平成という時代 ㊽

今ひとたび立ちあがりゆく村よ 失(う)せたるものの面影の上(へ)に 平成24(2012)年 皇后 宮城県南三陸町から仙台へのご訪問の翌週、両陛下は、平成23年(2011)年5月6日に岩手県釜石市を、11日には福島市と相馬市などを見舞われた。毎週休みなく続けら…

愚かな宇宙探査

「世界初、地下岩石採取へ」 3月31日、新聞の見出しも大きく、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が探査機はやぶさ2を使い、〔小惑星りゅうぐう〕に爆薬を打ち込むとか。クレーターの形成過程の調査と、地下岩石を採取して太陽系誕生の痕跡を探るためらしい。月の…

新元号公表の日に

お前は、虚飾の装いで己を誤魔化し、他人の目を気にするケツ穴すぼまった男お前は、職場への不平不満を時折まくし立て、苛立ちを募らせる負け犬間抜けな薄ら笑いを止めろ お前は、自己本位の価値観を棚に上げ、他人を下位に評価する偽善者お前は、他人の粗(…

大石順教尼を偲びて ー人間、このかけたるものー㉒

「それで先生は、いつも明るく生きてゆけるのですか」「私のいう″心の生き方″というのは、手のない人は、み仏の手をいただき、眼のない人は心の眼を開かなければならないのだよ。そして足の不自由な人は感謝の心でしっかりと大地を踏まなくてはならないのだ…

大石順教尼を偲びて ー人間、このかけたるものー㉑

「先生、お背中流しましょうか」「ありがとう、お願いしますよ」緑蔭に包まれた仏光院の昏(く)れは早い。 「おや、垣根に、夕顔の花が……」浴場の片隅に置かれたタライ湯の中で、順教尼は足の不自由な塾生を相手に、夏の夕暮れの風情(ふぜい)を楽しんでい…

一日不作 一日不食 ⑳

ここは京都山科にある清閑な勧修寺の仏光院である。今年80歳の春を迎えられた院主順教尼は、ひとり身体障害者のみに限らず、門を叩く来訪者のために、求められるままに、ある時は厳しく、ある時は天衣無縫に、まことに活機にあふれた道を示しておられるので…

一日不作 一日不食 ⑲

「世をはかなんで尼になりたいと申されるのですか」「はい、どうにもならない家庭の問題がありまして、煩悶の末、出家することができたらと、思い詰めて参りました」「それで、わたしにどうしろと言われるのですか」「先生の手で、どうぞ私を救ってほしいの…

露草の声 ⑱

彼が左手に持つ箸の運びは誠に美しく少しも不自然ではありません。やがて彼は荷物の中から二、三葉の短冊を取り出して、私に見せました。いずれも俳句ばかりで、雅味のある千蔭(ちかげ)流と思われる書体も私を悦ばしてくれました。 「あんた、二、三日ゆっ…

露草の声 ⑰

朝も庭に下りたち、露に濡れた草を心地よく踏みながら雑草を取っておりますと、誰やら後ろに人の気配がいたします。後ろを振り向きますと、そこに一人の若い男が立っています。私の草を取っている姿を見ていたらしく、懐かしそうに、黙って丁寧に頭を下げま…

不思議な出来事

彼岸に、昨年亡くなった義姉を思い出します。生前、姉と二人で度々実家に遊びに行きました。穏やかな人で、「よく来たない」と迎えてくれ、3人で楽しくお茶を飲みました。そんな義姉の世話になって旅立った父母は本当に幸せだったと思います。 一時間ほど話…

春彼岸に思う

この世は、肉を纏った100年そこらの小旅行。人として喜怒哀楽、四苦八苦を味わい、魂を磨き、やがては肉を脱ぎ捨て、異界へ還る。歳を重ね、残された年数を数える。平均寿命からすれば折り返して10年、肉体の死は少しづつ現実味を帯び出した。時間という概念…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑯

久めは吉原の辰稲弁楼の瀬川花魁、私は堀江遊郭山海楼の舞妓妻吉となって、8年ぶりに逢ったところは、仲の町の辰稲弁楼の揚屋でありました。 このめぐり逢いの後、私はたびたびこの瀬川花魁のもとへ通いました。ついには楼主の知るところとなり、ある日、二…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑮

遭難(堀江遊郭6人斬り)の翌年のことでした。年の暮れに大阪を出立(しゅったつ)しまして、私たちは上京をいたしました。新橋駅へ着きますと、多勢の出迎えの人々の中に、有名な幇間(ほうかん)桜川善孝が弟子たちや、吉原の芸妓連を案内して私を待ってい…

「人間性」反故にしたのは

特別寄稿 相模原事件一年後の視座 一年間とくと考えさせられた。いくつかの原稿を書き、本を読みかえし、対話し、長いインタビューも受けた。おぼろげながらわかってきたこと、まだ得心がいかないこと、いまさらにたまげたこと・・・が多々ある。誰も内心うろた…

血より濃きもの -すてられし子にー ⑭

定められた時間にまいりますと玄関で待たされること一時間あまり、やがて大きな座敷へ通されました。博士は火桶に手をかざしながら私をギョロリと見て、「あんたを呼んだのは別(ほか)でもない、芳男に子どもがありますか?」 私はたぶんこんなことだろうと…

血より濃きもの ーすてられし子にー ⑬

チッチュク チッチュク チッチュク チウスズメが鳴いてよる何というて 鳴いてよるチッチュク チッチュク 鳴いてよる 生まれて一年たらずの子がこんな他愛ない片言をいいながら、私の背なで喜ぶのです。この子は私に何の血のつながりもない子でありますが、私…

失いしもののために ⑫

「ちょっと待って、あなた。先ほどからこの体とか、不具者だからとかいわれますが、不具者がなんです。障害者がなんです。そんなこと問題ではありません。障害は肉体だけで十分です、精神的にまで不具者根性になっておられるのは情けないじゃありませんか。…

失いしもののために ⑪

ある年の秋、私は例によって朝早く庭に出て草を取っていました。両手のない私とて、足の指先で梅雨にしっとりぬれた杉苔のフワフワとしたなめらかな感触をしみじみと親しみながら、その中から出ている草を根元から引きぬくとき、杉苔の生いたちに障害を除い…

あるがままに

春のような日差しが、とてもまぶしく感じられる。私の心にも変化が表れてきたようだ。 病をがっちりとつかんで、終活にとらわれて、むなしい日々を送ってきた。幸せであっても、過ぎ去った楽しかったこと、良かった出来事などを、いつまでも引きずって、これ…

真実の一字 ⑩

翌(あく)る朝いつものように、私のために一時間早く来られた先生は相変わらずにこやかに座につかれましたが、どこか厳かなお声で、「どうや、昨日の答えはできた?」「わかりませぬ、いくら考えましてもわかりませぬが、先生はお手々で筆をお持ちになって…

真実の一字 ⑨

私のような者をひろいあげ、教え導いていただきました恩師藤村叡運御僧上のことを申し上げたいと思います。当時藤村叡運御僧上は大阪生玉にあります真言宗持明院のご院主でありました。現代の兼好法師ともいわれた方で、歌人としてまた国文学の大家として著…