朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人生

喪失

先月の6月10日、同僚の嫁さんが亡くなった。 享年51。 2年半に及ぶ闘病生活。 先日、同僚の家を訪ねた。 「会社を辞めたい」と本人からも、彼をよく知る関係者からも耳にして気になっていた。 部屋には11年前に家族3人で日光市を旅行した時の写真7、8枚が、…

味わい深い人生の始まり

あれから10年。 心音は一時も途切れることなく、命をつないでくれた。 毎晩床に就いて胸に手を当て、心臓、頭、眼、耳、鼻、口、首、肩、腕、五臓六腑、金玉、肛門、脚の順にさすり上げ、五感を感じられる我が身体に感謝を述べる。 今日一日の命をありがとう…

幸せは暮らしの中にある

日本で、世界で、いろんなことが起きている。 その度に呆れ、怒り、悲しみ、虚しさが募る。 その度に何もできない、何の力も才能もないボンクラの自分が見えてくる。 そんな日常の中、頭の隅で消え入りそうにしている想いを引っ張り出して心棒に力を注ぐ。 …

人生を謳歌する

今日は9歳の誕生日。 M医師とK医師、そして当時のT病院の医療関係の皆さんのお陰で今の命があります。 この9年間、良きも悪きもいろいろありました。 すべてに感謝です。 本当にありがとうございます。 こんな愚かな凡夫が生き永らえることができたのも何か…

あんこ屋の倅

2月2日朝刊のお悔やみの欄で中学校の同級生Tが亡くなったことを知った。 命日は1月31日。 一昨年、まちの正月市で立ち並ぶ露店をひやかし程度に眺め歩いている途中でTを見掛けた。 Tは出店していた。 「T、何してんの?」 急な出会いに驚いて声を掛けると、 …

人生は一回限りの旅

転機は31歳の時。 がんの専門病院に移り、私よりはるかに厳しい現実に向き合う人々の話を聴くようになった。 金融機関でバリバリ働き、27歳で逝った岡田拓也さんは責任感の強い努力家だった。海外留学も志し、休日も勉強に励んでいたある時、進行性スキルス…

一瞬の出会い

今から20年前以上になるが、仕事で作家の津村節子さんに会いに行くことになった。 当時の細かいところまでは覚えていないが、約束したその日、新幹線から乗り継いで中央線の吉祥寺駅を降りると、ジブリ美術館の文字が目に付いた。 辺りを見渡すと、そのため…

故郷

死への助走を意識し始めた齢となり、何かの拍子に人生の一場面が思い出されることがままある。 楽しいことよりもむしろ後悔や口惜しい想いをした場面ばかりがやたらと思い出され、否応なしに負の感情が呼び起こされる。 寝る前にそれが起きると始末に負えな…

施し、施されて生きる

胸裏の想いは、言葉にせねば独りよがりで終わる。 言葉にして我が耳に聴かせ、我が身体に沁み込ませる。 何度も何度も言葉にして心確かに、無意識の中に落とし込んでいく。 その内、無意識化された想いが無意識的に少しずつ行動に現れ、現実化していく。 巷…

The Wheel of Life 6

第10章 蝶の謎⑵ 収容所が解放され、門があけられたとき、ゴルタは怒りと悲しみのきわみで麻痺状態におちいっていた。せっかくの貴重な人生を憎しみの血へどを吐きながらすごすことが虚しく思えてきた。「ヒトラーと同じだわ」とゴルタがいった。「せっかく救…

The Wheel of Life 1

エピグラフより。 地球に生まれてきて、あたえられた宿題をぜんぶすませたら、もう、からだをぬぎ捨ててもいいのよ。 からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、たましいをつつんでいる殻なの。 ときがきたら、からだをてばなしてもいいわ。 そしたら、…

The Wheel of Life

弁膜症の初期症状が表れ、初めてカテーテル検査を受けた十数年前。 その後、月一の割合で通院し、診察ついでに栄養指導を受けるようになった。 その日、指定の時刻に栄養指導室に出向くと、担当の栄養士は入院患者の指導で不在だった。 別の栄養士が「検尿し…

定年後の生き方

数年後に定年を迎える。 漠然と定年後の人生を考える。 定年後の75歳までを「黄金の15年」と言うらしい。 思い描いた、理想通りの素敵な生活を送ることができるなら黄金色にもなるだろうが、他人より秀でた才能、才覚もなく、また、何ら努力もしていない私に…

稲葉耶季さんの遺言

「いまを生きる16の知恵」生きることは楽しいこと、大きな意味のあることです。 ①川の水のように自然の流れに沿う②自分の中のかすかな息吹を感じる繊細さを持つ③他者と同じ息吹の中で生きていることを感じる④興味のあることに集中する⑤不安や恐怖を持たない⑥…

今この瞬間を共に生きる

一昨日から二日間、陋屋の庭の雪囲いに追われ、昨日の夕方にようやく終えた。後片付けをしながら夕陽が沈んだ先の山並みの稜線に目を向けると、初冬の大気は橙色から瑠璃色の濃淡へと鮮やかな変化を見せ、その先を目で追っていくと、澄み渡る瑠璃色の天空に…

苦悩の末に

私は23歳でマタギの世界に足を踏み入れたが、初めから自然や、自然との共生のことばかりを考えていたわけではない。むしろ、狩猟を楽しむ気持ちのほうが大きかった。転機となった出来事がある。30代後半ごろ、有害鳥獣の駆除で仲間と一緒に春先の山に入った…

篩(ふるい)

今年3月に同級生Sが亡くなった。数年間の闘病生活。再々発の白血病だった。 今日、郵便局で同級生Aに会った。Aは配送専門でトラックの中から声を掛けてきた。「Eが死んだの知ってっか」藪から棒にAは言った。「なに!」「去年の12月だ。ネットで名前検…

ひとりで死んでも「幸せな人」だった

私は一度だけしんちゃんに会ったことがあります。祖母を亡くした葬儀の時です。私が満4歳を目前にしていた時ですが、わりとよくその時の情景を覚えています。当時、私と両親は大阪に住んでいました。祖母は祖父、長女、次女とともに4人で富山県に住んでいて…

不運続きだった「本の虫」

しんちゃんは山本信昌(のぶまさ)という名前でした。信昌の信の文字から家族は「しんちゃん」と呼んでいました。母は男二人女三人の五人きょうだいの下から二番目。しんちゃんは末っ子です。私が大学生だった頃しんちゃんは52歳で亡くなっています。 第二次…

無駄な時間なし

前日、めったにひかない風邪で学校を休んだ。何かを予感していたのかと、今何となく思う。 あの日が家族や友人、大切な人と穏やかな日常を過ごせる最後の日になった人たちがいる。問い掛けたところで、返事は永遠に返ってこない。 どこにいるのかいまだに不…

大石順教尼を偲びて ー人間、このかけたるものー㉒

「それで先生は、いつも明るく生きてゆけるのですか」「私のいう″心の生き方″というのは、手のない人は、み仏の手をいただき、眼のない人は心の眼を開かなければならないのだよ。そして足の不自由な人は感謝の心でしっかりと大地を踏まなくてはならないのだ…

大石順教尼を偲びて ー人間、このかけたるものー㉑

「先生、お背中流しましょうか」「ありがとう、お願いしますよ」緑蔭に包まれた仏光院の昏(く)れは早い。 「おや、垣根に、夕顔の花が……」浴場の片隅に置かれたタライ湯の中で、順教尼は足の不自由な塾生を相手に、夏の夕暮れの風情(ふぜい)を楽しんでい…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑯

久めは吉原の辰稲弁楼の瀬川花魁、私は堀江遊郭山海楼の舞妓妻吉となって、8年ぶりに逢ったところは、仲の町の辰稲弁楼の揚屋でありました。 このめぐり逢いの後、私はたびたびこの瀬川花魁のもとへ通いました。ついには楼主の知るところとなり、ある日、二…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑮

遭難(堀江遊郭6人斬り)の翌年のことでした。年の暮れに大阪を出立(しゅったつ)しまして、私たちは上京をいたしました。新橋駅へ着きますと、多勢の出迎えの人々の中に、有名な幇間(ほうかん)桜川善孝が弟子たちや、吉原の芸妓連を案内して私を待ってい…

血より濃きもの -すてられし子にー ⑭

定められた時間にまいりますと玄関で待たされること一時間あまり、やがて大きな座敷へ通されました。博士は火桶に手をかざしながら私をギョロリと見て、「あんたを呼んだのは別(ほか)でもない、芳男に子どもがありますか?」 私はたぶんこんなことだろうと…

血より濃きもの ーすてられし子にー ⑬

チッチュク チッチュク チッチュク チウスズメが鳴いてよる何というて 鳴いてよるチッチュク チッチュク 鳴いてよる 生まれて一年たらずの子がこんな他愛ない片言をいいながら、私の背なで喜ぶのです。この子は私に何の血のつながりもない子でありますが、私…

失いしもののために ⑫

「ちょっと待って、あなた。先ほどからこの体とか、不具者だからとかいわれますが、不具者がなんです。障害者がなんです。そんなこと問題ではありません。障害は肉体だけで十分です、精神的にまで不具者根性になっておられるのは情けないじゃありませんか。…

失いしもののために ⑪

ある年の秋、私は例によって朝早く庭に出て草を取っていました。両手のない私とて、足の指先で梅雨にしっとりぬれた杉苔のフワフワとしたなめらかな感触をしみじみと親しみながら、その中から出ている草を根元から引きぬくとき、杉苔の生いたちに障害を除い…

心の声

4人だけの男だけの職場。なぜこのメンツで仕事をしているのか、ふと考える。しゃべりたくなければ黙っていればいいし、他愛もない会話に愛想付き合いすることもない。気を遣う必要もなく気楽だが、そのせいで投げ遣りで雑な気遣いになっていることに気付く。…

使命に生きよ ①

(「堀江遊郭6人斬り」から生還して退院時のこと) 私はいよいよ今日、退院することになりました。院長さんを始め、婦長さんや、その他の先生方、看護婦さんたちに、お礼やらご挨拶に参りました。さてこの病院を出るとなれば、何となく心残りでもあり、4年ぶ…