朴念仁の戯言

弁膜症を経て

人生

篩(ふるい)

今年3月に同級生Sが亡くなった。数年間の闘病生活。再々発の白血病だった。 今日、郵便局で同級生Aに会った。Aは配送専門でトラックの中から声を掛けてきた。「Eが死んだの知ってっか」藪から棒にAは言った。「なに!」「去年の12月だ。ネットで名前検…

ひとりで死んでも「幸せな人」だった

私は一度だけしんちゃんに会ったことがあります。祖母を亡くした葬儀の時です。私が満4歳を目前にしていた時ですが、わりとよくその時の情景を覚えています。当時、私と両親は大阪に住んでいました。祖母は祖父、長女、次女とともに4人で富山県に住んでいて…

不運続きだった「本の虫」

しんちゃんは山本信昌(のぶまさ)という名前でした。信昌の信の文字から家族は「しんちゃん」と呼んでいました。母は男二人女三人の五人きょうだいの下から二番目。しんちゃんは末っ子です。私が大学生だった頃しんちゃんは52歳で亡くなっています。 第二次…

無駄な時間なし

前日、めったにひかない風邪で学校を休んだ。何かを予感していたのかと、今何となく思う。 あの日が家族や友人、大切な人と穏やかな日常を過ごせる最後の日になった人たちがいる。問い掛けたところで、返事は永遠に返ってこない。 どこにいるのかいまだに不…

大石順教尼を偲びて ー人間、このかけたるものー㉒

「それで先生は、いつも明るく生きてゆけるのですか」「私のいう″心の生き方″というのは、手のない人は、み仏の手をいただき、眼のない人は心の眼を開かなければならないのだよ。そして足の不自由な人は感謝の心でしっかりと大地を踏まなくてはならないのだ…

大石順教尼を偲びて ー人間、このかけたるものー㉑

「先生、お背中流しましょうか」「ありがとう、お願いしますよ」緑蔭に包まれた仏光院の昏(く)れは早い。 「おや、垣根に、夕顔の花が……」浴場の片隅に置かれたタライ湯の中で、順教尼は足の不自由な塾生を相手に、夏の夕暮れの風情(ふぜい)を楽しんでい…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑯

久めは吉原の辰稲弁楼の瀬川花魁、私は堀江遊郭山海楼の舞妓妻吉となって、8年ぶりに逢ったところは、仲の町の辰稲弁楼の揚屋でありました。 このめぐり逢いの後、私はたびたびこの瀬川花魁のもとへ通いました。ついには楼主の知るところとなり、ある日、二…

泥中の蓮 -吉原奇縁ー ⑮

遭難(堀江遊郭6人斬り)の翌年のことでした。年の暮れに大阪を出立(しゅったつ)しまして、私たちは上京をいたしました。新橋駅へ着きますと、多勢の出迎えの人々の中に、有名な幇間(ほうかん)桜川善孝が弟子たちや、吉原の芸妓連を案内して私を待ってい…

血より濃きもの -すてられし子にー ⑭

定められた時間にまいりますと玄関で待たされること一時間あまり、やがて大きな座敷へ通されました。博士は火桶に手をかざしながら私をギョロリと見て、「あんたを呼んだのは別(ほか)でもない、芳男に子どもがありますか?」 私はたぶんこんなことだろうと…

血より濃きもの ーすてられし子にー ⑬

チッチュク チッチュク チッチュク チウスズメが鳴いてよる何というて 鳴いてよるチッチュク チッチュク 鳴いてよる 生まれて一年たらずの子がこんな他愛ない片言をいいながら、私の背なで喜ぶのです。この子は私に何の血のつながりもない子でありますが、私…

失いしもののために ⑫

「ちょっと待って、あなた。先ほどからこの体とか、不具者だからとかいわれますが、不具者がなんです。障害者がなんです。そんなこと問題ではありません。障害は肉体だけで十分です、精神的にまで不具者根性になっておられるのは情けないじゃありませんか。…

失いしもののために ⑪

ある年の秋、私は例によって朝早く庭に出て草を取っていました。両手のない私とて、足の指先で梅雨にしっとりぬれた杉苔のフワフワとしたなめらかな感触をしみじみと親しみながら、その中から出ている草を根元から引きぬくとき、杉苔の生いたちに障害を除い…

心の声

4人だけの男だけの職場。なぜこのメンツで仕事をしているのか、ふと考える。しゃべりたくなければ黙っていればいいし、他愛もない会話に愛想付き合いすることもない。気を遣う必要もなく気楽だが、そのせいで投げ遣りで雑な気遣いになっていることに気付く。…

使命に生きよ ①

(「堀江遊郭6人斬り」から生還して退院時のこと) 私はいよいよ今日、退院することになりました。院長さんを始め、婦長さんや、その他の先生方、看護婦さんたちに、お礼やらご挨拶に参りました。さてこの病院を出るとなれば、何となく心残りでもあり、4年ぶ…

それでよしとする

たどり着いた「半隠居」 20代後半くらいから、隠居に憧れていた。山口瞳の「隠居志願」(新潮社)を読んだのがきっかけだ。「人生50年と思い定めて、ヤリタイコトヲヤルというのが男の一生なのではないか」 わたしは仕事よりも家事を優先したかった。なるべ…

東京大空襲の日 夫まさに間一髪

戦争の真っただ中でしたが、夫は旧制中学を終え、大学受験のため、伯父夫婦を頼って上京しました。食糧難の時代。宿泊するためには、食料を持参する必要がありました。それを工面するため、義母はたった一枚の銘仙の着物とコメを交換して、夫に持たせてくれ…

かたくなだった親に頼らぬ人生

昨年2月、生まれて初めて入院、手術をした。 いよいよ手術時刻が迫ってきた。背骨に部分麻酔をし、腰から下は感覚を失い、意識もやや混濁してきたその時であった。わが姉妹が現れて、口々に「兄貴も私たちの仲間入りだね」とほくそ笑んでいるではないか・・・。…

何回でも転び 起きる

芥川賞作家にして慶応大の教壇に立つフランス文学者。時には金原亭馬生(きんげんていばしょう)門下の二つ目として高座にも上がる荻野アンナさん(60)は多方面で活躍中だが、20年ほど前からうつ病の治療を続けている。発症のきっかけは、親の介護だった。 …

少年時代の思いが原点

自由な発想と色使い、思わずクスッと笑ってしまう物語が魅力の絵本作家・五味太郎さん。なりたかったわけではない70歳を過ぎ、「気がついたら絵本しかやってないな」と顧みる。この「自分に合う表現の仕方」に出会ってから40年を超えた。 最近、作家としての…

霊になった上皇を慰める

西行 平安時代末期の1156年、元天皇の崇徳(すとく)上皇と弟の後白河天皇による争いから、天皇を支える摂政、関白を出していた公家の藤原氏、武家の源氏と平氏がそれぞれ分裂して内乱の「保元(ほうげん)の乱」が起きました。呆気なく敗れた崇徳は今の香川…

音楽支えに生き抜く

性同一性障害 「音楽なんて非国民と言われた時代でした」戦後、国内外のオーケストラで活躍した元神戸女学院大教授の八代みゆき(89)。戦時は東京音楽学校(現東京芸大)の学生だった。幼いころから心と体の性が一致しない違和感を抱き、11年前に性別適合手…

夢実現の時にすべてを失った現実

夢中で子育てし、ホッとした時には孫守が始まった。多忙のとき、二人で旅行するのが何よりの楽しみだった。やっと暇を見て国内旅行し、外国に行くのが夢だった。妻が63歳の12月末、この年から年賀状を印刷した。妻には友人に近況を知らせたらと数枚の賀状を…

母子手帳で知った愛

心に響くメッセージとともに、ユーモラスな鬼の絵を描く画家、しの武さんがエッセー「もう、なげかない」(小学館)を出版した。波瀾万丈の半生から生まれた、温かい人生哲学が胸を打つ自叙伝だ。「私は母の顔を知らないんです」と話すしの武さん。実母は、…

人生を変えた言葉

まだ20代初めの頃のことでした。戦争に負けた日本で、働き手のいない旧軍人の家庭は、経済的に苦しく、アルバイトをしながら大学を卒業した後、私は7年間キャリアウーマンとして、アメリカ人相手の職場で働いて家計を助けていました。 4人兄弟の末っ子だった…

「そうかもしれない」

保健所の植え込みの中で震えて鳴いていた「しろ」を拾ってきてからもう11年になる。 その頃私は気分の落ち込むことの多い日々を送っていた。高校と中学に通っていた息子と娘が、自分たちの生活に意味を見いだせず、生きてゆく気力を失いかけているように見え…

迷い

「迷いに迷った挙句、産みました」かわいい赤ん坊を抱いて報告に来た卒業生の顔には、苦しみを経験した人にのみ見られる明るさと、大人びた表情がありました。 中絶をすすめる周囲からの圧力、産むことによって生じる経済的負担、仕事と育児の両立の難しさ等…

障がいを乗り越え 数学を教えたい

私は統合失調症です。19歳の時に診断されました。でも何とか山形大学理学部数学科を卒業し、特別支援学校の臨時講師や光学プリズムの製造所などに勤務しました。 もう51歳。今は実家の農業を手伝っています。このまま一生を終えてもいいのですが、「男子一生…

人間の愚かさ

連日、世間を騒がせる事件が絶えない。一見して他人事のように思いがちだが、誰も彼もがいついかなる時に被害者、加害者になるか知れたものではない。「何を戯けたことを。誰が加害者になるものか」大方の人間は、言下にそう否定するだろう。そして、内に棲…

死ぬということ 生の輪廻の一つ

孤独死の現場に仕事柄よく立ち会います。アパートの一室で人知れず息を引き取り、死後数週間たって発見されました。初老ともいえない若い男性が多いようです。 ほかのNPOの寮から私の運営する寮へ転入された人が、亡くなる数週間前から昼でも夜中でも「おー…

見習いたい母 背を見て育つ

生きていれば120歳になる母は、20歳過ぎで農家に嫁ぎ、8人の子を育てました。物がない時代、12人の大家族を守っていました。育ち盛りの子どもたちを、決して空腹にはさせませんでした。学校から帰るといつも、囲炉裏に焼きおにぎりがあり、醤油の香りが漂っ…