酸素吸入はまだ取れなかったが、だいぶ元気になった風立つ朝、母が私の枕元で言った。「おまえの書いたノートがね、本になるんだって」。父と母への遺書のつもりで書いたノートだった。「良き径」と記したもので、講談社から出版されることが決まったのだ。…
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