朴念仁の戯言

弁膜症を経て

あるがままに

春のような日差しが、とてもまぶしく感じられる。
私の心にも変化が表れてきたようだ。

病をがっちりとつかんで、終活にとらわれて、むなしい日々を送ってきた。
幸せであっても、過ぎ去った楽しかったこと、良かった出来事などを、いつまでも引きずって、これからの短い寿命をどう延ばすかを考えてきた。
しかし、物欲やわがまま欲を得る幸せよりも、「あるがままに生きること」。
それこそが人生後半にふさわしいのではないだろうかと思うようになったのだ。

今や90代や100歳まで生きる人が珍しくなくなった時代。
終活にとらわれているばかりの老後では寂しい。
自分だけの命である。
自然とともに生き、桜の咲くのを何年、何回、健康で多く見られるかが、今の私の夢に変わった。

二本松市の菅原チヱ子さん81歳(平成31年3月5日地元紙掲載)

 

真実の一字 ⑩

翌(あく)る朝いつものように、私のために一時間早く来られた先生は相変わらずにこやかに座につかれましたが、どこか厳かなお声で、
「どうや、昨日の答えはできた?」
「わかりませぬ、いくら考えましてもわかりませぬが、先生はお手々で筆をお持ちになってお書きになられますが、私は口で書きますので、それで先生はカナリアに習えといわれますのでしょう?」
「なんじゃ、それでは半分しかわかっていないじゃないか」
「先生、私にはさっぱりわかりませぬ」
「わからぬ? そんなことわからぬはずはない」
「でも先生、私のような何も知らぬ者には」
「わからぬというのか」
師匠はそのまま何もおっしゃってくださらず、黙ってご本に目を向けていられます。私はとりつきようもなくしばらく自分の膝をみつめておりましたが、
「先生!」
「なんじゃ」
「あの、私、よね子の字を書け、といってくださるのでしょう?」
「そうじゃ、それをいうているのじゃ、よく私のいうたことが悟れた。私はよね子がにくくていうのでない。お前が不憫でならぬ。しかし、可哀想だからといって人の同情にあまえてはならぬ。肉体が不自由だからとて同情してくれるのもそれは今、お前が手がなくて、人がなんとかいっているうちはそれでもええ。人から忘れられたら淋しいものじゃ。私がお前にみんなと同じように手本を書いてやれば私の字のままをお前が習う。ほかのお子たちと同じ字を書く。お前はお前のままの真実の一字を生み出さねばならぬ。それには多くの字を見ることだ。多くの人の文字をひろく見て、その中から、自分の真実の個性がなんであるかを考えて永久に勉強するのだ。書の道は宗教であり、芸術であり、文化の中のすぐれた精神的のものである。人格のあらわれである。わかったなあ。今日は手きびしい私の言葉でだいぶ頭がつかれたらしい、何か甘い物で茶を一服たててあげよう」

先生は座を立たれて、次の間の水屋から何かお菓子を持ってこられました。
「よね子、良い物があった、私の好きなお骨があった」
先ほどからのお師匠のお諭(さと)しの、情のこもる一つ一つのお言葉が胸の底までしみいりまして、かたじけなさにお返事もできませず、今にも落ちようとする涙をむりにおさえていました。
「さあ、お菓子から食べさせてあげよう」
先生はそうひとりごとのようにいわれて、私にお骨というお菓子をとられ、二つに割られて私の口へおいれくださりました。その先生のお手の拳の上に一滴私の涙が落ちました。ためていた涙が、ついに先生のあたたかい、そのお心の手にこぼれました。
「どうしたんだ、お骨を食べさせてもらって泣くことがあるか。これは駿河屋のようかんや。私はこのようかんを長くしまっておいて堅くなってから食べるのが楽しみでなあ。小僧の時分から好きで私の師匠の坊がよくのこしておいてくだされたものじゃ。お骨になったようかんを口にするたび師匠の深い情けを思い出す。さあ、今度はお茶や」
先生が自らお茶をたてて飲ましていただくお服かげんのご挨拶も言葉に出ませず、先生の膝の前にとめどもなく涙がこぼれ、師のお衣までぬらすのでした。

「先生ありがとうございます。よねは勉強いたします、どんな苦しいことがありましても勉強いたします」
「そうや、お前のこれからの人生には難行苦行が待っている。私がつねにいうている言葉はみな私の遺言やとおもうてなあ、決して苦労に負けるなよ。ただ勉強だ。勉強のほかに何も思うな」

私の心は尊い師の教えに胸の底までひきしまる思いでした。
師のご恩は後々にいたるまで、どれほど私の人生の上に尊いものでありましたでしょうか。永久に忘れえぬありがたいお諭しでございました。

※仏光院の大石順教さん「無手の法悦」(春秋社)より

 

真実の一字 ⑨

私のような者をひろいあげ、教え導いていただきました恩師藤村叡運御僧上のことを申し上げたいと思います。
当時藤村叡運御僧上は大阪生玉にあります真言宗持明院のご院主でありました。
現代の兼好法師ともいわれた方で、歌人としてまた国文学の大家として著名な方でありました。
私が初めて持明院へ伺いましたとき、まず最初に申されましたのは、
「あんた女子(おなご)で、双腕(もろうで)のないことを悲しんでいただろうな。辛い不自由な一生を送らねばならぬと泣いている?」
「いいえ、私いまさらそんなこと思って泣いてはいませぬ。それよりも心の片輪を悲しみます。心の片輪は学問の勉強と修養によって努力すれば身に応じた幸がえられると思います。先生、私どんな辛い修行も喜んでいたします。いけないところはお叱りくださいまして、どうぞお導きくださいませ」
「フーン、えらいこというなあ。体の具合より知識の足りないのが悲しいと……なるほどそうじゃ。あんた知っているか、むかし、″塙保己一はなわほきいち)″という盲人のえらい学者があった。多くの眼の開いたお弟子たちがあって、ある晩の講義のとき、風のために灯火が消えた。するとお弟子たちは″先生ちょっと待ってください、今灯火が消えまして字が見えません″と申しますと、塙先生は″さてさて眼明きは不自由なことだなあ″といわれたそうな。さあ、そこや、この言葉をよく胸にたたんで勉強しなされ。あんたは小鳥が口一つで雛を育てているのを見て、口で字を書きだしたそうやな。ものを習うというのは鳥が教えたのや。字で書けば、羽、白し、と書いて習うという。親鳥が子鳥に飛ぶ様を教えるが、どんな鳥でも羽根を開いて飛ぶときは羽根の裏はみな白い、それをいうたものや。あんたが小鳥を見て発憤したのも、何か教えられたものがあるのだろう? 私の講義は朝の9時から午前ちゅうだが、あんた8時から来て今日のみなにする講義のところを前に教えてあげよう」
と、心からのあたたかいご同情によって、私はこの師匠のもとへ通わしていただくようになりました。

さて国文学の講義と申しましても、平仮名さえ読めぬ知識の乏しい私が、源氏物語や万葉などと、むつかしい講義を聴かせていただいてもわかるはずはありませぬ。来ておられる方々は女学校を出た方や、専門の人たちです。その中へ無智な私が飛び込んでその同じ講義を聴かせてもらいますのは、あまりにもむりな願いでありました。中には私に侮蔑の眼を向けられる人たちもありましたが、私はただ勉強のほかに何もありませんでした。

師匠はその私の耐え忍ぶ心を察しられて、いつも私をご自分のとなりの席へ坐らせてくださり、
「この子は両手がないゆえ本が開けられぬから、私の本を見せてやるので、私のそばへおいておく。可哀想に、何もできないのでなあ」
こうしてみんなにいわれますのを、私はありがたいと胸のせまる思いで感謝しておりました。
やがて一年も過ぎました。師匠は毎週塾の方々に字のお手本を書いておあげになりますのに、私には何も書いてくださいませぬ。もとより私は、他のお弟子たちと同じような文字を習う資格はありませぬ。それなればそのような習いやすいお手本を書いてくださればよいのにと思い、ついたまりかねて、私はある日師匠に、
「先生、私にも字のお手本をお書きくださいません?」
と、申しますと、師匠は、
「なんじゃ、私に手本を書けというの? それは書いてやれん、他のお弟子たちには書いてあげても、お前には私は書いてやれん、お前はお前の先生に習えばよい」
「私の先生、私の先生は、お師匠さまよりほかにはございませぬ」
「なんじゃ、何をとぼけているのじゃ、お前の先生はカナリアという小鳥じゃない?」
「でも先生」
「何が先生じゃ、よく考えて明日答えを聴こう」
といつもの先生とは思えぬきびしいお声でありました。
私はとりつきようもなくおいとまいたしましたが、帰る道すがら一心に考えましたが、もとより教育のない私に、何のよろしい答えが出てきましょう?

※仏光院の大石順教さん「無手の法悦」(春秋社)より

 

種蒔く人 ⑧

このようなわけでこの札幌の本屋さんが、私にとりまして大恩人でございます。
自分で行きますればたいへんな費用がかかりますが、厚生省から行けといわれる。こんな結構なことはございません。
まず札幌に行って、50銭の大辞林をくださったあの本屋さんに会いたい。
もう亡くなっておられたら、せめてご家族の方にでもお目にかかりたいと思って、喜んで札幌にまいりました。

たくさんの方のお出迎えをいただき、さてホテルに落ち着きまして、身体障害者の会の理事長さんに、
「私は札幌にお招きにあずかり、二つ返事でまいりましたが、これにはわけがあるのでございます。実は札幌の本屋、そのころこんな形のこんな本屋さんでございましたが、その本屋のご主人がご健在なら、私はこれほど倖せはございません。せめてご家族の方にでもお会いすることができましたら、そのときいただいた大辞林のお礼が申しとうございます」
と当時のお話を申し上げますと、理事長さんが、
「はあ、不思議なめぐりあわせですね。その本屋なら私の親父ですよ」
とこうおっしゃいます。
「へえー、理事長さんのお父さんでしたか。まだご健在ですか」
「健在も健在、80幾つで、ピチピチしております」
こう聞きましたときは、涙が出るほどうれしゅうございました。

「じゃ、会わせてくださいますか」
「会うも会わんもありませんよ、親父よろこびますよ」
とすぐに電話してくださいました。
さっそくまいりましたところ、もう白髪のご老人、いまは札幌の富貴堂という百貨店の社長さんになっていらっしゃいました。
お目にかかるなり、
「そうですか。あなたでしたか」
と社長さんも感慨深げでございました。

「私は社長さんから、そのとき50銭でしたが、あんたの気持がうれしいから、この本をあげましょうといって、大辞林をいただきました。それから字を引くと申すより、ちょっとの時間があれば、その本を開いてめくら滅法に、いつでもその大辞林を見ていました。そのとき教えていただきました聖書もございます。この二つをいまも座右に大切にいたしております」
「そうですか。大辞林のことは記憶にはありませんが、キリスト教がわからなくて、てこずらされたことは覚えておりますよ。どうでしょう、私の店には店員が200人ばかりおりますが、今晩店が閉まってから、お話をしてくれますか」
「ええ、喜んでさせていただきます」
とお約束したのでございます。

当夜、演壇に立ちまして、仙台から北海道への巡業の道順を申しまして、札幌にまいり本屋さんに行ったところまでお話し申しますと、社長さんが、
「ちょっと待ってください、もうたまらんから私にしゃべらせてください」
といってお起(た)ちになりました。
「どうです、みなさん、私は宗教ということ、信仰ということは結構だとは思っておりますけれども、こう如実にあらわれるとは知らなかった。今聞かれたように、手のない人が飛び込んできて、字引きがわからない、何か適当なものをといわれて出したのが、大辞林であったそうです。50銭のお金はいらん、あんたにあげましょうといって、その本をあげた。その大辞林でもって勉強されたということはうれしいことじゃありませんか。蒔かぬ種は生えぬということを、みなさんがたによく申しましたね。きょう種を蒔いて、すぐあす実るものではありません。40年前に差し上げた大辞林が縁となって、きょう、この札幌に来てくださった。口でものを書くようになられた今日までの努力の源が50銭の大辞林であったかと思うと、たまらないほど私はうれしい。どうかみなさんもいい種を蒔いてください。種を蒔かずして、どうして花が咲くでしょうか。よい種は蒔きたいものですなあ。―さあ、これだけ言わせてもらったら、あとはどうぞ続けてください」
といって退かれました。店員の方々が声をあげて泣いていらっしゃいました。

この話がいいニュースだというので、地元の新聞はもとより、東京の新聞にまで取りあげられたのでございます。
社長さんが、蒔かぬ種は生えぬとおっしゃってくださいましたお言葉が、ほんとうに私は身にしみてうれしゅうございました。ああ、札幌に来てよかったと思いました。
今年の年賀状にも「あんたからものをもらって、代筆ではもったいない」とおっしゃって、「相変わらず活躍してください。私も80幾つでも負けませんよ」と書いてございました。

※仏光院の大石順教さん「無手の法悦」(春秋社)より

 

身を賭し子を守った父

今年も北海道は、厳しい冬のようです。
この時期になると、6年前に発生した痛ましい事故が思い出されます。

猛吹雪の日、父が車で小学3年の娘を児童センターに迎えに行きましたが、帰りに車が雪に突っ込んでしまいました。
ガソリンが少なかったことから、近くの建物に避難しようとしたもののそこの鍵が開きません。
雪の中で娘に自分のジャンパーを着せ、10時間娘を抱き続けましたが力尽き、亡くなったのです。
娘は軽い凍傷で済みました。

このニュースを聞いた時、目頭が熱くなり、自分の命を賭けて子どもを守ったことに、本当の親の姿を見ました。

「しつけ」と称して、子どもが亡くなるまで体罰を続ける事例が報じられる昨今です。
「子は親の背中を見て育つ」という言葉を思い出します。

里山を歩くと、よく道端にお地蔵様を見掛けます。
お地蔵様は人間界の一番近くにいる仏様だと聞きます。
亡くなった子どもたち。
そちらには体罰もいじめもないと思います。
楽しく遊んでください。
そしてお地蔵様、そんな子どもたちを、優しく温かい家庭に生まれ変わらせてください。

郡山市の横田良夫さん67歳(平成31年2月24日地元紙掲載)

 

種蒔く人 ⑦

「妻ちゃん(順教さん若かりし頃の芸名)、あんた明けても暮れても勉強がしたい、したいといっているけれども、可哀想にどこに行っても断りをいわれているそうだが、いっそ字引きを買って、字引きで勉強したらよいではないか」
と(ある人が)いってくれました。

「字引きってなんですか」

「字引きといえば、たとえば札幌なら札幌という字を知りたかったら、それを引けば出てくるものです」

「へえー、そんな便利なものがあるんですか。どこに売っておりますか」

「本屋に行ったら売っております」

「そうですか、では」
といって、街の本屋に飛んでまいりました。

「字引きありますか」

「ありますよ。何の字引きですか」

「なんや知りまへんねえ。とにかく字引きでんねん」

「それは困ります。いろいろございますから」

「そうですか、実はね、私これこれこういう女です。手なしの寄席芸人なんです。聞けば字引きというもので勉強せよといってくれた人があるんです。なんとかしてその字引きというもので勉強がしたいんですが、ご主人そういう本を私にみつけてくださいな」

「そうですか、あんたお手々がなくて、そうですか、ようござんす。なんか見てあげましょう」
といって、書棚から持ってきてくれましたのが、みなさんご存じの言海と並び称されました大辞林でございます。分の厚い本を持ってきてくださいました。

「えらいまた分の厚い本ですな。この文字はまるで黒ゴマを振ったような字ですなあ。これが字引きですか」

「はい、これ一冊あったら、りっぱな学者になれます」

「へえー、そうですか。いかほどですか、これは」

「50銭ですが、あんたの気持ちがうれしいから、この字引きをあんたにあげましょう。だから勉強してください。この字引きの引き方はこうして引くのです」
といって、片仮名でも、平仮名でも引くすべを教えてくださいました。

「そうですか、じゃあ、あの、すみませんが、わたしのふところに入れてください」

本屋のご主人が、私のふところにその字引きを入れようとなさいますと、もう一冊がありました。

「あなたのふところに、なんか本がもう一つはいっておりますが・・・・・・」

「へえ、ふところに入れているのですか。これは何の本ですか」

「何の本ですかって、あんた自分のふところにある本を知らないんですか」

「知らないんですよ」

「知らないものをなぜ持っているのですか」

「いや、私ね、こちらに来るときに、ある若い人が、この本を持っていらっしゃいといって手を振っていました。坊ちゃん、私にその本をくださいますかといいましたら、こんなものわからないといわれましたが、頂戴なといって窓から放り込んでもらったのが、この本です。それでいつでもふところにはいっているのです」

「ふところに入れていても仕方がないじゃありませんか」

「でもね、この人はだいぶ学者らしいと思ったら、ふところから本を出して、これを読んで聞かせてくださいといったらわかると思いましてね……。楽屋の連中はこんなものはわからないですよ」

「なるほどなあ、字引きがわからないんだから、この本はなおさらわかりませんね」

「何の本ですか」

「これはあんた、聖書ですよ」

「聖書ってなんのことですか」

「聖書といえばキリスト教の本ですよ」

キリスト教ってなんですか」

「キリストといえば西洋の神様ですよ」

「へえー、西洋にも神様ってあるのですか」

「それはありますよ」

「そんなら、西洋の神様は稲荷さんですか」
神様はお稲荷さんしか知らないんですね。こんな非常識がありましょうか、まるで嘘のようなほんとうの話でした。

「どうしたらこの本わかるんですか」

「それはあんた、いいこと言いましたなあ。この本に書いてあることが知りたかったら、教会に行きなさい」

「教会ってなんですか」

「教会といえば、このキリストの神様がおのこしくださった結構な教えを、詳しくお話をしてくださるところです」

「へえー、どうしたらその教会に行けるでしょう」

「十字架があるから、その十字架を目当てに行きなさい」

「十字架ってなんですか」

「何もわからん、いったいどういったらわかるんだろう。あんたお寺に行ってお説教を聞いたことありますか」

「ええ、お説教ということは聞いています」

「そのお説教と同じようなものでしょう。日本でいったら、お釈迦さんというお坊さんの偉い人が出られて、今日の仏教というものがひろがった。日本でいったらお釈迦さんのような方……」

「へえー、お釈迦さんていうことは知っておりますよ。あの4月8日になりましたら、阿弥陀池のお釈迦さんが、甘茶をくれはりまんねん。釈迦もお誕生という歌を私知っております。そのお釈迦さんですか」

「そうです、そうです」

「そうしたら十字架とはどんなものですか」

「十字架とは、こういう形のものですよ」

「そうですか、じゃ、どこでもそういう教会はあるんですか」

「ありますよ」

そのときはうれしゅうございました。それからと申しますものは、教会へまいりまして牧師さんのお話を伺っておりますうちに、ご承知のように「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がございました。よかったなあ、このキリストの教えというものは、こういう結構なものがあるとは知らなかった。それからというものは、右に聖書、左に大辞林、本屋のご主人がくださいましたその大辞林、こういう字を調べようと思って引くというよりも、めくら滅法で開ける。わけもわからずに開けておりますと、何かその大辞林の中に書いてありますことが、非常に結構に思えてくるのでございます。

※仏光院の大石順教さん「無手の法悦」(春秋社)より

 

取り留めもなく

昨日、母に宅配物がありました。
宅配物の段ボール箱には「落花生」の大きな文字が書かれてありました。
箱の中には落花生の菓子がたくさん入っていました。

母は、このことを早く私に知らせたかったのです。
私が仕事から帰って家に入るとすぐに、母は段ボール箱を両手に抱えて話し始めました。
私は段ボール箱を見た瞬間、誰が送ってくれたものか、ピンときました。
弟でした。
母、妹、私の喜びそうな顔を思い浮かべながら、ひとつひとつ菓子を選んでくれたに違いありません。
箱の中は弟の温かい心根であふれていました。

今日、母はこの菓子をテーブルに広げ、妹と私に「どれ食べる? これ食べる?」と言いながら試食を楽しんでいました。
「仏壇にも」
母はご先祖様にもお裾分けしました。

 

弟よ
我慢するな
弱音は吐いて吐いて吐き尽くせばいい
愚痴なんか何度でも何度でもこぼせばいい
何でもいいから話したいことがあったら、姉ちゃん、母ちゃん、俺に連絡よこすんだぞ
幸せは自分が決めると言うだろ
母ちゃんも姉ちゃんも俺も皆の幸せを祈っているよ

今日は母の誕生日です。